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仕出し弁当とのたたかい

通っていた幼稚園は給食が出ていた。

正確に言うと、ご飯かパンは持参しないといけなくておかずだけの給食だったような気もする。年長になったら小学校に上がるための準備だといって牛乳が一緒に出ていた。あの200mLの小パックではなくて、家庭用の1Lパックを何本も給食のたびに職員室から先生が持ってきていた。牛乳専用のコップを園児たちが持参していて、そこに先生が毎回注いでくれたのだ。複雑な給食システムだなと思う。

そんな給食、たぶんママ達が大いに助かっていたであろう給食だが、年に数回出ない日があった。もちろん遠足だったり運動会の時はお弁当なのだが、それとは別に普通の平日でも給食が出ない日がたまに存在した。理由は分からないけれど、たぶんその日は給食を作っているセンターが休みだったりしたんだろう。

だからといってお弁当持参になるわけではない。給食の代打というプレッシャーのかかる役を任される者がいて、それが仕出し弁当だった。

一つの容器にごはんといろんな種類のおかずが入っている。蓋にお店の名前が書いてあって、みんなそのお店の名前で弁当のことを呼んでいた。容器はプラスチックでできた繰り返し使うタイプで、後で業者に返さないといけないやつだ。

当時は幼稚園児、それまでの人生で食べてきたものなんてたかが知れているわけで、もちろん仕出し弁当を配られて食べたのもその時が初めてだった。

本当に衝撃だったんだ。美味しくなかった。

世の中にはここまで度を越えて美味しくないものがあるのか。ピーマンとかにんじんとかそういうんじゃなくて、一品の料理として美味しくないパターンがあるんだということを認識した。いろんなおかずがあるのにどれを食べてもだめで、米くらいしかまともに食べられない。

断っておくと、小僧の私は好き嫌いをしないたちで、もし苦手なものがあっても皿に盛られた分は我慢して食べるくらいの偉い子だった。そんな小僧でも勝てない敵だ。食べられそうなものは相当頑張って食べるもどうしても完食はできなかった。弁当容器を回収される時に、先生に見つかって叱られるリスクを冒して中に食べられなかったおかずを隠して返した。

その後も仕出し弁当とのたたかいは卒園するまでに何度かあった。"今月の献立"にやつがいる度に毎回絶望を味わい、あんなに楽しい幼稚園に行きたくないと思うほどだった。できれば本当に食べたくないが、食いしん坊の私にお昼を食べないなんて選択ができるはずもない。でも、でも美味しくないんだよ…!
もう完全に負のループにはまっている。5歳児になんて試練を与えてくれたんだ。

小学校に上がってからやつに出会うことは無くなった。中学、高校と進んで、行事やイベントで弁当が配られる機会はそれこそ数えきれないほどあったが、いつも地元の弁当屋さんの幕の内みたいなのとか大手弁当チェーンの唐揚げ弁当とかだった。小学校で試合の時のおにぎり弁当が妙に美味しかったことを覚えている。

たまに道で仕出し弁当屋の配達車が走っているのを見て、そういえばあんなのあったな、と思う。

もう味も思い出せない。思い出せないが、なぜかプラ容器の感触だけ覚えている。なんでだよ。

小僧は成長して大学生になり、入った学部では乗船実習というのがある。練習船に乗り海へ出て、航行のやり方を教わったり環境調査をするのだ。

船に乗る時は日帰りと泊まりとどちらのパターンもあって、泊まりなら船員の調理担当の人が毎食ごはんを作ってくれる。でも日帰りの時と泊まりの一日目の昼だけは弁当が配られる。

そこに、やつがいた。

配られる弁当は仕出し弁当だった。

回収して再利用するタイプの容器に入った弁当が休憩室に積まれていた。当時と違っておかずとご飯の容器が分かれている弁当だったし、そもそも別の土地なのでお店も全然違う。最初は全然気が付かなかった。気にも留めずに昼ごはんだっ、と呑気に受け取る。

食べようと思って蓋を開けると。
一瞬のきらめき、記憶が蘇る。

十数年の時を超え、あの理不尽な弁当が帰ってきた。

喉がヒエッと言った。ちゃんと食べきれるかな…と心配になる。

忌々しい思い出があるからか、見た目にもあまり食欲をそそるようではない。おそるおそる口に入れる。

結果、まあ確かにすごく美味しいかと言われるとちょっとそれは申し訳ないのだが、全然食べられるものだった。配られる弁当としては至って普通の。

大人になって食べられるようになったものも沢山あるけれど、一度も食べない間に克服していたのか。あんなに苦しんでいた相手をあっさり食べることができてしまい一抹の寂しさを覚える、なんてこともなく、子どもの味覚は敏感だって言うしな…などと考えながら黙々と口に入れ完食した。正直、もうちょっと量が多くてもよかった。お腹空いてたから。

あの頃の仕出し弁当は、鮮やかな不味さの記憶だ。今でも絶望を覚えているが、克服してしまったがためにもう二度と味わうことはできなくなった。いや、別にもう一度食べたいわけではないんだけど。

まずいの方向でインパクトを残す食べ物は人生でたぶん多くない。世の中は美味しいものでいっぱいだから。だからこの記憶も大切なんだ…と思いこんで生きていけばいいかもしれない。

船の中には備えつけの電子レンジがあった。弁当は温めると味がいくぶん良くなった。そうか、冷えてたのがいけなかったんだ。

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