『歌いたい』‐きたりえの視点(8)

8.歌いたい

 休憩明けの練習では、カメラや照明の確認を行いつつ、演技を通しで行った。今度は、監督は途中では口出しをしない。一通り終わった後で、それぞれ必要なメンバーには改善点を言い渡す。美織もどうやら吹っ切れたようで休憩前よりも進歩が見られる。何度も回数を重ねていくうちに次第に舞台としての形が整っていくのを里英は感じた。

 そして撮影本番を迎える。

「十分な準備ができているとは言えませんが、これから本番を行います。あとで部分的に別のカットを取るところもありますが、基本的には通しではこの一回しかやりません。いいですか。一度きりです。うまくいかなくてもやり直しはしない」

 監督のその言葉に、メンバーたちの間に緊張感が漂う。里英の脳裏にも不安がよぎった。里英のセリフは長く、しかも歌への導入部分はとても重要なところだ。明日香や亜樹、SKE48の高柳明音といったベテランメンバーの表情にも緊張の色がうかがえる。若いメンバーはなおのことそうである。

「みんな、がんばろう」

 彩佳が決意に満ちた声で言った。

「自分と仲間を信じて。そうすればきっと良い舞台ができる」

 その言葉がそれぞれのメンバーの心に共鳴するように、一人ひとりが互いを励まし合った。

 里英はセンターを務める柴田阿弥に呼びかけた。

「阿弥ちゃん、がんばろうね」

 阿弥は一瞬驚いたような表情をしたが、「はい」と言って大きいその目を細めて微笑んだ。

「太陽は、何回まわった?」

 彩佳が真っ暗で何も見えない宙を見上げる。

「もう、数えてないよ」と、悲しそうに明日香が答える。

「失望の数と同じくらい」

 多田愛佳は感情を抑圧した声で言う。

「夜の方が多くなかった?」と宮崎美穂。

「そりゃあ、あんたが夢ばっかり見てるから」

 怒りを含んだ声色で石田晴香が言う。

「私は最近、昼間眠るようにしてる。夢を見なくて済むから」

 木本花音は淡々とした口調で言うが、その目に希望の光はない。

「目を閉じて眠ったら同じじゃない」と古川愛李が。

「世界の終りは、まだ先かなぁ」

 上西恵が虚無に向かってつぶやく。

「外で何が起きたって、私たちには関係ない」美織。

 今にも泣き出しそうだ。

 そして絶叫。

「関係ない!」

「てかさ、この世界が終るってことは、この部屋も消えるってことでしょ」

 小谷里歩の喜怒哀楽は完全に凍結してしまっているようだ。

「どうするつもり!?」と里英が声を上げる。

 明転。

 ある者は立ち尽くし、またある者は座り込んでいる。

「こんなところに閉じこもっていても、何も変わらないじゃない!」と里英は全員に語りかける。

 しかし里英の呼びかけに誰も応じることはなく、里英はただため息をつく。

「どうするって、私たちにできること、もう何も残ってないじゃない!」と、悲痛な声で明音は言う。

「見てごらん!扉は、固く閉ざされたまま」山田菜々。

 菜々のその言葉に皆が扉を見る。

 何人かが扉の前に駆け寄る。

「前より、扉が厚くなっているみたい」

 そう言った小笠原茉由は、扉の前に立ち尽くす。

 田名部生来が扉を開けようとするが開かない。

「誰がカギを閉めたの!?」

「気づいたら閉まってたのよ」と松村香織が苛立った声で返答する。

「誰かっ!私たちはここにいます!」谷真理佳が叫んで扉を叩く。

 生来と茉由もどうにか扉を開けようとする。

「無駄だよ!」

 亜樹の声が響く。

 3人は扉を叩くのをやめる。

「どんなに声を上げたって、外には聞こえないんだ」と呆然とした口調で亜樹が言った。

 外側には届かない。

「このままでいいの!?私たちはここから出るために集まったんじゃないの!?」

 里英は必死に訴えかける。

「そりゃあそうだけど、食料は届くわけだし」と山内鈴蘭。

 心がすっかり挫けている。

「ここでの生活に慣れちゃった」岩佐美咲。

「リスクを負ってまで扉を開ける必要もないでしょう?外がどうなっているかも分からないんだし」岩田華怜。

「そうそう」菜々。

「何も考えない。それがここでの賢い生き方」中西智代梨。

「時間は、悪意もなく過ぎていく」大場美奈が言う。

 時間だけがくるくると回り続ける世界。

「みんな、大人なんですね」

 若い本村碧唯は無邪気に言う。

 だが、その無邪気さの中にも諦観が顔をのぞかせているように見える。

「それがね」

 彩佳が立ち上がる。

「ここで傷つかずに過ごす方法」

 彩佳は皮肉そうに顔をしかめた。

 この世界を支配する空気とそれに毒された自分自身に嫌悪感を抱いている。

 彩佳は場所を移動してまた座り込む。

「…歌」

 つぶやくような声と共にひとすじのピアノの音がかすかに響く。

 その声に皆がはっとする。

「歌はどう!?」

 そう言ったのは阿弥だ。

「それはだめ!」明日香が思わず立ち上がる。「2年前に政府から歌の禁止令が出されたじゃない!」

「昔は過激な本や有害なロックが禁止されたけど、ついに歌うことさえ弾圧されたのよ」と菜々が言う。

「アイドルは皆、国外追放されたらしい」と亜樹。

「大人たちが理解できないものは、青少年に悪影響を及ぼす、ってことなのよ」明音。

「歌なんて、誰かに聞かれたら…」と彩佳が不安げに言う。

「外には聞こえないでしょう?」と里英。

「じゃあ意味無いんじゃない。歌なんて歌ったって」

 愛佳が突き放すように言った。

 美穂もそれに同調する。
「ムダムダ。誰も聞いてないんだから無駄でしょう」

「自分たちのために歌うのよ!」阿弥は立ち上がって力強く言った。

 その目はしっかり前だけを見据えている。

 また、ピアノの一音が波紋のように響く。

 先ほどよりも大きく。

「自分たちの、ために?」

 花音はその言葉になぜだか新鮮な印象を受ける。

「辛い時や、悲しい時、歌を歌ったじゃない」と阿弥はうなずいて言った。

 里英が阿弥に駆け寄る。

「うん。いろんな歌に勇気や元気をもらったわ!」と里英は言う。

 しかし、晴香がうんざりしたように異を唱える。

「ちょっと待ってよ。それは昔の話でしょう。私達が子供の頃の…」

「ばかばかしい」愛李が切り捨てるように言った。「閉じ込められているとはいえ、ここで生活ができてる。それでいいんじゃない」

「あえて法を犯す必要がある?」と恵。

「…歌以外のことを考えたら?」美織がおずおずと申し出る。

「それはリスクが高すぎるわ」里歩が感情のない声で言う。

「罪びとにはなりたくないし。歌いたいならあんたたちだけで歌えばいいじゃない。私たちのいないところでね」と美咲。

「ねえ!」

 不意に華怜が立ち上がる。

「…何か聞こえない?」

 そこにいる全員は耳を澄ます。

 騒音、振動。

「爆弾や銃声!外の世界では戦争をしている…」と生来。

「争い事ばかりね。扉の向こう側も、こっちも」香織はシニカルな口調で言った。

「結局、ここに閉じ込められた私達が得をしたってことね」と茉由。

「歌なんか歌ってるより、じっとしときましょうよ」真理佳。

「この建物は大丈夫かなぁ。ミサイルとか飛んできたら…!」

 鈴蘭が美咲に詰め寄る。

「もともとここは、核シェルターだったらしいよ」と美奈が冷静に言う。

「定期的に届けられる食料が途絶えたら!?」と智代梨。

 美奈はゆっくりと立ち上がる。

「ここには25人がいる」美奈は言った。「つまり、24個の食料がある、ってこと」

 空気が変化する。

「食べるんですか?仲間を」碧唯が不安そうに問いかける。

「最悪はね。生きるためなら、しょうがない!」激しい形相で美奈はそう吐き捨てた。

 不穏な緊張が周囲を覆い尽くそうとしている。

「歌いましょう!みんなで」それを振り払うように阿弥は言った。

「よけいにお腹が空くでしょう」菜々がうんざりしたように言う。

「意味分かんない!歌なんか歌ったって…!」明音も。

「思い出して」里英がゆっくりと階段をのぼりながら皆に語りかけた「辛い時、悲しい時、ふと好きな歌を口ずさんでいなかった?

 理屈じゃないのよ!説明がつかない力がわいてきたでしょう?学校で嫌なことがあった帰り道、誰も聞いてないのに歌ったわ」
 
 里英はセリフを言いながら、彼女自身が幼いころに歌っていた歌のことを想った。

 まだ日中の温かみが残る芝生の上に座って、夕陽を見ながら歌った。

 里英は一人だったが、草木が、風が、雲が彼女の歌を聴いていた。

 その時感じた孤独は、胸を締めつけるような痛みをもたらしたが、どこか心地の良い痛みだった。その孤独だけは、そっと里英に寄り添っていてくれたのだ。

「涙が後から後から出てきて、町が滲んで見えた。
 心細かったけど、頑張って歌ったわ。
 いっぱい、いっぱい涙をこぼして。
 それでも、歌っているうちに、少しずつ、なんだか楽になっていった」


続く

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