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夜空に引き上げられる

夜中の病院のオフィス。僕ら2人がいるところだけが明るい。
地方都市の医療法人、250床の急性期病院と100床の老健施設。
経営は厳しい。しかし今の部長が総務部長について2年で改善の道筋をつけた。ベッド稼働率対策、大規模修繕計画の見直し。

借入金の借り換え。これを銀行に納得してもらうための事業計画書の作成をしている。今日中に終わらせれば、月曜午後の銀行との折衝に間に合う。
8割方、終わった。

休憩しよう。 部長が言う。
平野部長は49歳。巨大インフラ系企業からこの医療法人に転職した。
僕がコーヒーを入れ、部長がサンドウィッチをテーブルに並べる。

コンビニのサンドウィッチって、レベル高くないか?
嬉しそうに部長は言う。
僕は東京の出版社を4年間勤務し、この20万都市に戻ってきた。

お前さ、コーヒー入れるの上手いよな。
部長、これ、フィルターセットして粉入れるだけですけど。
そんな会話をしながらサンドウィッチの封を開ける。
ふぁへき と部長がサンドウィッチをほおばりながら僕の名を呼ぶ。

佐伯って言ってください、お母さんから食べ物口に入れて喋ってはいけません、と言われませんでしたか。

リラックスしている様子だからこの際聞いてみる。
平野部長の家族についてあまり知る人がいない。

部長、お子さんいらっしゃるんですか?

ああ、いるよ。佐伯と同じ年の29歳の元引きこもりが。

なんていうことを聞いてしまったのか。2分前に戻りたい。自分を呪う。
しかし、うろたえる僕をまるで気に留めず、部長は話し始めた。

俺が大学卒業してすぐ出来た子どもでさ。金がないし、嫁さんと二人でしんどい生活で、でも頑張って育てた子でさ。結構成績良くて、上智から東京の大手広告代理店に入ってな。でも、なんか広告代理店って柄じゃない気がしてたんだ、生き馬の目を抜く様な厳しい業界だろ、あいつはどっちかというと人と一対一で向き合う様な、そうだな、ホテルマンとか、オーダースーツのテーラーとかフィッターとか。

でさ、ダメだったんだよ、広告。ハードでさ、クライアントから23時頃にメールが来て翌11時にプレゼンとか、数字が上がらなかったり。菜食の女優から五目焼飯のオーダー受けたらハム入ってると怒られたり。

息子の勤務先から俺の携帯に、10日ほど連絡がとれないって。
血の気が引いたよ。とりあえず嫁さんと二人で東京のアパートまで駆けつけたんだ。新幹線じゃなくて車で行ったんだ。なんかそれがいい気がしてさ。アパートのカギを大家から借りて、恐る恐る入るんだよ。不思議と死んでいるという気はしなかったな。後で聞いたら嫁さんもそう思っていたみたい。

玄関からゴミの山でな。キッチンにパンパンのゴミ袋が積みあがっていて、その先のリビングにはゴミ袋にも入れてないゴミが山になっていてさ、その中に息子が横たわってるの。

駆け寄ってさ、おい、どうした、ってさ。ひどい顔した息子がよろよろ上半身だけ起こして、呆然としてる。5分ぐらいそうしてたかな。嫁さんと俺が抱えるようにしてさ。

そしたら あ、あ、ってうめきながらぼろぼろと涙こぼすの。いや、正直ほっとしたよ。涙こぼしたって事は、まだ感情が固着してないってことだろ。
ただ、なかなかのうつ状態に見えたんだよね。うちの病棟にもいるだろ。そんな感じの患者さん。息子もトイレにもいけなくて失禁してるし。さすがに俺も少し動転してて。まあ、するよな。でもさ、俺が棚からパンツとか探している時に息子の身体支えている嫁さん見たら柔らかい雰囲気でさ、にこにこしてるんだよ。もうこれ以上悪いことは起きないよって。俺、もうさ、号泣でさ。あ、嫁さん西田尚美にめちゃめちゃ似ててめちゃめちゃ可愛いぞ。いや、西田尚美より可愛いな。

1Kのゴミだらけの部屋で男2人がぼろぼろと涙こぼして、西田尚美より可愛い嫁さんがにこにこしてるの。

僕も泣いていた。

佐伯、何でお前が泣くんだ。
車で家まで連れて帰って、退職させて、アパートも始末して。家でゆっくりさせて。最初、会話はあんまりできなかったけど、代理店の仕事から離れた事、それだけで相当良かったようで。で、ここの精神科連れてきたんだよ、中村先生。中村先生一人に時間かけてくれるだろ、経営的には厳しいけど。

とにかく運動を勧められて、ガム噛むことから始めて、散歩。そもそもうつ状態には筋肉の往復運動がいいみたいでさ、で、ガム。

息子、通院以外は家から出られなくてな。でもとにかくリビングで飯だけ一緒にするようにしたんだ。なかなか厳しかったけど。助かったのがさ、西田尚美より可愛い嫁さんが淡々と日常こなしてな。それに俺も引き上げられて。1年ぐらいそんな状況で、それでも徐々に回復して、最初は夜中だけの散歩、徐々に夜中に車で何処かへ行くまでいったんだ。もう安心だろ。昼間も外出し始めて、体力ついて、一緒に近所の低い山とか登って。ただ、なんかまだ目の奥がふらついている気がしてたんだよね。

俺が3日間出張で、嫁さんも実家の都合で家を空ける日があって。その時に800mぐらいの低山登ると言い出したんだな。まあ低いし問題ないと思ったんだよね。

で、あっさり遭難したんだ。
俺がそれを知ったのは2日後。低山って登山道があまり整備されていないし、遭難しやすいんだよ。道に迷って、気が付かないで進んで、気がついたら日が暮れて夜。一人森の中で一晩過ごすって考えただけでもめちゃめちゃ怖いよな。あいつも物凄く怖かったらしくて。葉がこすれる音だけでビビったり。一晩、当たり前だけど寝れずに。俺たち街中で生活していると五感を10%ぐらいしか使わないだろ、あいつ多分90%以上使ったんじゃないかな。

朝が来て、斜面を上ったり降りたりしたらしいけど結局2日目も夜になって。食料は板チョコが2枚、水はうつになってから水分たくさん取るようにしてたから500cc持っててなんとか。

二日目の夜も最初はとんでもなく怖かったらしいけど、急に感じ方が変わったらしい。状況を受け入れたというしか、わからないって、本人言ってたな。草木や岩、遠くの木々もやけにくっきり見える、それだけ。怖くない。一人漆黒の山中に一晩。星空も手に取るようにはっきり見える。手を伸ばせば取れるんじゃないかって。

夜中の山で身を守るために気を張るだろ。五感を感じる脳の能力をフルで活用したのかもな。フランスのラスコー壁画ってわかるか?2万年前に書かれたものらしいんだけど、近代の芸術家よりも四足歩行の動物の動きが遥かに精密らしいんだよな。そんな感じか。

三日目の朝に登山道を見つけて、帰って来た。

帰って来てから、目の奥にちゃんと光のようなものがあるんだよ。
芯がぶれてないというか。
それでさ、東京に行くって。理学療法士になるっていうんだ。

わざわざしんどい思いした東京に戻らんでもいいじゃないか。理学療法士なら近くにも専門学校あるし。

でもあいつ、こう言うんだ。東京ってところは、手をしっかり伸ばせばちゃんと届いて手に入るところ。助けが欲しい時も手を伸ばせば良かったんだ、僕は東京を使いこなせていなかった。山で一晩みた星空も東京にもあるはずだって。もう、手を伸ばすことはできるから、ってな。

確かにさ、東京の夜空は星が見えにくいけど、でもベールを一枚剥げば同じ星空なんだよな。あるんだよ、ちゃんと星空が。そのベールって俺たちが勝手に作ったものかもしれないんだよな。見えないのなら、見なきゃ、な。


オフィスの窓から夜空が見えた。街の明かりで星は見えなかったけど、見えるはずだ、手を伸ばせばここからでも。







写真引用元 hotakaさん、使用を快諾頂きありがとうございました。

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