Steve Grossman研究-70-80年代のスタイル変遷を検証するーその1 突然のシーン登場:デビュー当時 1970年のグロスマン
前書き
晩年は「ロリンズ系ハードバップテナーの巨人」的な扱いをされていたグロスマンであるが、シーンに登場したときはいわゆるユダヤ系コルトレーン派の最右翼だった。その後はストーンアライアンスのような多少電化されたジャズも演奏し、勘違いした輩は「フュージョンサックスの代表」的な扱いをしていたりした。
私が彼の存在を知った1980年代の前半は、いわゆるメイジャーシーンからお隠れになっている状況であったが、どちらかといえばエルビンのライトハウスに代表される「コルトレーン系」グロスマンに魅了されていた。そんな中、80年代半ばに表舞台に復活し、初めて生で見たグロスマンは現在のロリンズを中心とするモダンジャズの王道スタイルに変化していた。70年から80年にかけてのある時期に、間違いなくスタイルへの大きな変化があったわけである。
というわけで、突然ではあるが、当時の限られた音源から、グロスマンスタイルがいつどのように変わったのかを検証してみる。
注意書き
この記事は、2000年代前半に私が懐かしのMixiに書いた文章を改めてNoteに再掲するものです。当時は無かった音源(You Tube等)へのリンク等を改めて付けてありますので、実際の演奏も改めてご参照ください。
その1 突然のシーン登場:デビュー当時 1970年のグロスマン
マイルスバンドで鮮烈なデビュー?の真実
さて、グロスマンはショーターの後釜としていきなりマイルスバンドに抜擢されたことで名を挙げたわけであるが、音源的なデビューは何時なのだろうか?
と思って、ちょっと調べてみたのだが、マイルス関連として中山某の「マイルスを聴け!(第六版)」によれば、どうも"Jack Johnson" のSessionらしい。それが1970/2/18 and 4/7とある。しかし、ライブでは1970/3/7のLive at Fillmore East(結構最近リリースされた正規盤)までショーターが吹いており、ライブ音源でのグロスマン初登場は1970/4/9-10の"Black Beauty"ライブの様だ。
一方、この時期日野皓正の"Alone Together"というアルバムに参加しており、改めてCDのクレジットを見てみたらなんと1970/4/6-7の録音!ってことは、Black Beautyより2日ほど早いし、さらに言えば7日はこれと”Jack Johnson”セッションの掛け持ちだったのだろうか(笑)。
まあ、当時のマイルスのスタジオ盤クレジットは極めて怪しく、一方、日本の会社が制作したく日野皓正の方のクレジットはおそらく正しいのだろうから、掛け持ちってことはなかろう。どちらにしても1970年の4月あたりが実質的なレコーディングデビューで、もしかするとヒノテルの作品がデビュー作だったのではないかと思われる。ヒノテルはこの時期1カ月ぐらいNYに滞在して、最後にレコーディングを行ったということであるので、想像するに、NY ミュージックシーンでグロスマンがマイルスバンドに抜擢されたことを聞いたヒノテルが、いち早く捕まえて無理やりレコーディングさせちゃったということではないだろうか。日本人としてある意味うれしい話でもあるなあ。そういえばジョンスコの初リーダーはトコさん(ドラマーの日野元彦さん)プロデュースではなかっただろうか。All Music Guideによれば、グロスマンは1951/1/18生まれであるのでこの時まだ19歳!恐るべしである。
さて、中山本を見ると、この後ライブ音源でサックスがゲイリーバーツに変わるのが70年の10月。音源上でグロスマンが確認できるのはいわゆるフィルモアのセッションが行われた6月が最後の様である。と考えると、グロスマン在籍期間は同年4~6月の3カ月!えー、そうだったんだ。結構新たな発見だな、わたくし的には。
「若くしてマイルスのバンドに抜擢され」が常套句のようについて回るグロスマンではあるが、実際には、「ショーターを失ったマイルスが血迷って採用し、すぐビークになった若造」という見方の方が正しいのかもしれない。
しかし、演奏スタイルはすでに初期グロスマンモデルが確立されており、何枚かのアルバムで強力な切れ味の演奏が聴ける。とはいえ、当時のスタイルはやはりコルトレーンの影響が色濃いもので、いわゆるバップ時期のサックス奏者の影響はあまり感じられない。最近のCDでグロスマンに慣れ親しんだ人が聴くと、違う人が吹いているように聞こえるかもしれない。
この時期の重要アルバム
というわけで、この時期のグロスマンの本気プレイが聞けるのは上記、ヒノテルの"Alone Together"と、フィルモアセッションあたりかな。ちょっと遅れてチックコリアのリーダー作”The Sun"がある。
Alone Together/Terumasa Hino
上記のとおり、グロスマンの実質的なデビュー作といっていいのかもしれない。長尺もの3曲。うち一曲はソプラノ。まあ、当然といえば当然だが、すでにすっかりグロスマンである。フレーズはペンタトニック+変なクロマチックフレーズ、フラジオの伸ばしなど、やはり64-5年あたりのコルトレーンの影響がモロに感じられ、バップ臭は極めて少ない。その後の完成形に比べるとちょっとぶっきらぼうかな。Alone Togetherはまだちょっとあか抜けない感じもあり「グロスマンの真似をする不器用な若者」みたいに聴こえる(笑)。一方、早いブルースのMake Leftのソロはグロスマン本来の切れ味のある演奏だと思う。
Complete Friday Miles at Fillmore/Miles Davis
いわゆる海賊盤ですね。一曲目のDirectionsにおけるグロスマンのテナーソロはまさにキレキレで凄味があり、とても19歳の演奏とは思えない。同時期の一連のマイルス作品は相当な編集が入っていて、たまにグロスマンが出てきてもソプラノでピーヒャラしているだけ、みたいなイメージがあるが、テナーでこんな凄い演奏をしていたのだ。ショーターの後釜に入った理由もよくわかる。でも、なんですぐ辞めちゃったんだろう。マイルスの自伝あたりに何か書いてないかな。
The Sun/Chick Corea
おそらくマイルスのバンドをクビになったころ(1970/9/14)、やはりマイルスバンドで一緒だったはずのチックコリアのリーダー作に参加したもの。確か、Chick Corea(p) Dave Holland(b) Jack DeJohnette(ds)というマイルスバンドリズムセクションにグロスマンが加わったカルテット。チックコリアは生ピアノ、ベースもアップライトを使っており、半分ぐらいフリー調の重いジャズ。
アルバムのクレジットにはグロスマンと書いてあるのだが、聞いてみるとフレーズも音もビブラートの感じも凄くリーブマンっぽい(笑)。フリークの間でも「これ本当はリーブマンなんじゃねえか」という疑念が絶えないアルバムであったのだが、某氏が当人に聞いたところ「あれは俺だ、わざとデイブの真似して吹いた」みたいな証言を得たという話だ(人づてに聞いたので真偽のほどは不明)。まあ、よく聞くとやっぱりグロスマンだなあと思うのだが、いつもに増して変態クロマチック16分音符フレーズを多用している。Slumberという4小節ごとにモードが変わっていく難しそうな曲のソロが強力に格好良い。私は、レコードからダビングしたカセットしか持っていないのだが、これCD化されてないのかなあ。と思ってあるサイト見たらレーベルが (Toshiba)って書いてある。日本制作盤だったのか!無理そうだな。
と、ここまで書いてとりあえず日記としてアップしておくのだ。続きはまた行き当たりばったりで(続)。
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