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私の考える #8050介護 とは

「8050問題」なる言葉が時々、介護のニュースや記事ででてきますね。


8020問題の進化系(8020は高齢者の歯の話)では、ありませんよ。

これは、引きこもりしていた子どもが20歳代、30歳代、40歳代と親と同居し、親の扶養家族で暮らし、その途中で(30歳以降は)、失業、非正規就労に落ち着いてしまったりして、実質、親の年金で暮らし、最後は、親の要介護・要支援と、老いた子どもが親の介助に携わり、老親の年金と貯蓄の取り崩しでやりくりし、親亡き後、子どもは無年金、無資産、借家なら立ち退きを迎える……という、双六のことです。

でも、本当の双六の結末は、この後です。
それが、80歳の介護支援の必要な親と、50歳代の転職、離職、別居の決断を選択する子どもの、壮絶にして絶望的な(結論の見えている悲惨な)親子介護生活のことです。

それを "8050介護" と勝手ながら命名しました。


このほかにも
・70歳を過ぎた親が介護が必要になり、子どもが40歳代、50歳代で、離職し自営などしながら同居して介護生活を送る
・子どもが結婚して、他府県で暮らしていたのが、夫婦別居して親元に帰省(転職や離職)し、老親の介護生活を始める
といったケースもバリエーションです。

また田舎と都会でも状況は異なります。
田舎だと、親を預ける高齢者施設などの介護資源が少ないし、在宅で老親だけで自立生活をすごすのは、あまりに危険。
都会に呼ぶとしても、都会の介護資源はパンク状態で、親を都会の家に一人で置いておくのも不安です。

そうなら、子どもは都会に出ず、親と同居し、そのあと介護、最後は老々介護かというと、今の時代、家業や家禄があるわけでもないし、旧民法のような家父長制の親子関係はだれも望んでいません。
これにはまると、毒親と介護いじめのコースです。

子どもが18歳か22歳で自立しても自立できなくても、故郷で親子がお互い自活していても、親子の相互扶助は、結局、形を変え問題化する、”形違えど、韻を踏む″。結末は、大同小異の必然かもしれません……。

子どもの自立から30年後に迎える "8050介護"、老々介護は、復讐の女神の業でしょうか。


私の場合

私自身は、父親とは30歳、母親とは25歳、年が離れていました。
55歳の時、父は85歳、母親は80歳。
ここが、私の"8050介護"の原点です。

58歳で、自営業に転じ、親も最初の要支援の通所リハビリから、要介護、在宅看護、訪問診療へ移行。
今や週5日、ヘルパーさん、看護師さん、訪問医が家に来ます。介護施設に入れたのではなく、自宅を個人専用の老人介護施設にオーダーメイド化したのです。

ここ数年の介護の状況を図にするとこんな感じです。

キャプチャ

私自身の状況も、両親の状況も移ろいゆきます。


また日常的には、眼科、歯科、整形外科への付き添い、日用品や食材の買い出し、薬局もあります。自営の仕事は、自宅でこなせる部分もあるし時間調整が効くので、いざとなったら仕事を投げて、介護にシフトしています。

夕方は、入浴の介助、食の栄養管理(食品成分の計算)、夕食のおかずづくりもあります。(なんか、愚痴っぽく、えらそうな自慢話にも聞こえますね。。)

介護施設のケアマネ、ヘルパー、管理栄養士、調理師、運転手、用務員の百面相、大車輪です。
幸い、両親とも自立意識(自分でするという意欲)が高いので、それほど精神的、時間的な負担はありません。
ただこれだけの役割をこなせるのは自営業のメリットですね。さらに経済的な余力が精神的な余裕につながっているとも感じます。

書いていて、「自分ってよくやっているかも…?!」と思いましたけど、読者の皆さん、これは、文章のせいです。
ちゃっかり、毎日午後2時間のジムとプール、そのあと、散歩を兼ねて買い物代行、夜は、早めの晩酌、ほろ酔いで時々、見守り・・・。

モットーは、悲観しない、煮詰めない、運動で発散!ストレスをためないようにしています。
(後ろ向きの話題なので、詳細は、別の機会にします)


以上、今日は私が考える8050問題ならぬ "8050介護" について書いてみました。


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