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自宅が個室ベッド化した後、最後の宴

介護が進行し、父親の虚弱化と持病の悪化、母親の虚弱化とヘルパーが家に来ることでの介護疲れが並行するようになりました。
老親の自宅を介護と療養で個室ベッド化(たとえて言うなら介護療養サービス付き戸建てケアハウス、かな?)し、自分の家で元気な暮らしを一日でも長く続け、安静、穏やかな日々が延びるよう、考えうる万全な環境をつくりあげようとしました。

今回のnoteでは、下記の内容をまとめました。

自宅に出入りする7人のプロと1週間の過ごし方

なるべく万全な体制を作ろうとしたところ、週に7回、平日午後はヘルパーさん、看護師など、だれかかれか来ている状況にたどり着きました。
具体的な1週間の過ごし方(訪問者、依頼事項、時間)をまとめてみました。

月曜:訪問者ナシ
朝昼晩、夫婦でのんびり食事
母親がかかりつけ医に通院、家事に専念
火曜ヘルパー(父・母)
父の入浴介助、水回りの掃除(洗面所、トイレ、台所、浴室)
⏲13時から90分間
水曜理学療法士(父)
父のリハビリ、屋内での運動、健康相談
⏲14時から60分間
木曜ヘルパー(父・母)
調理補助、重い物の移動
⏲13時から90分間
   看護師(父)
父の健康診断、血圧・体重・体温測定、母親に食事指導
⏲15時から60分間
金曜ヘルパー(父)
居間、洗面所、トイレの清掃
⏲13時から90分
【+隔週】:訪問医、付き添い看護師(父)
問診、体温・血圧測定、血液検査、薬指導、注射
【+月末】:ケアマネ主催の福祉関係者全体会議(父・母)
在宅介護全体会議
(ケアマネ、主任ヘルパー、福祉機器納入業者(2社)、訪問看護師、理学療法士、訪問診療医院の医療ケースワーカー+父、母、私)

書き出してみると、本当に色んなプロが出入りしていることがわかります。

家族である私の日々のサポート

上記のプロの訪問に加えて日々の私のサポートもまとめてみました。

毎朝:
・朝食後の見守り、雑談相手
・体温、体重、血圧測定、検温
・父の好きな古賀政男、美空ひばりの音楽鑑賞サポート(ステレオ操作)
水曜:父の入浴介助
午後5時、着衣を脱ぐ手伝い、浴室、浴槽に移動する手伝い、入浴時間10分の見守り、浴槽から出る時の手伝い、体をふく、パジャマを着る、おむつを付ける手伝い(夜はおむつしてます)
金曜:訪問診療の同席 父母の相談を医師に翻訳して伝える 父の薬を薬局へ取りに行く
土曜or日曜:父の入浴介助
※ヘルパーさんのお風呂は13時からですが、ヘルパーさんの勤務時間が16時まで、夕方の入浴は契約時間外で対応できません。
父は、夕食前に入浴し、ぐっすり寝たいので、私が週2回、夕食前に入浴介助します
月、水、土(週3回):母のメモを見ながら買い物代行私がジム・プールに行ったついでに、スーパーやドラッグストアで、必要な食材、お菓子、家庭用品を購入。
お気に入りは、自宅調理できないもの(海老天、あなご天、牡蛎フライ、白身魚のフライ、海苔巻き、握りずし)。結構おいしくて、プチ外食気分。父母ともに楽しみにしています
月2回:
・郵便局、銀行の記帳、現金引き出し
ネットスーパーで、地元では手に入らない食材のネット購入
(腎臓職=たんぱく調整米・パン、生協共同購入)


裏方の最後の務め

上記の日々のサポートをしつつ、介護のワークは専門家に任せ、私には裏方でいろいろな準備がありました。
そう、最後の鐘が鳴る前に、準備は完了していなければなりません。 

毎月の確認事項
①訪問診療医を訪問し、病状の進行状態、今後の進展予想を確認
②ケアマネを訪問し、ヘルパーさんの困りごと、父母が不作法してないか確認。最期、自宅で看取るとした時のスタッフ増強を確認。

+いつか、容体急変で救急搬送が起きます。その時、携行する書類をまとめて管理


この小康状態を利用し、在宅での最終局面に向けた具体的な準備に取り掛かりました。不謹慎ですが、ここまで積み上げてきて、最後の最後で破綻するわけにはいきません。
ここに書いた関係する皆さんの助言で、入院するまでの在宅生活の最後を、穏やかに過ごすことができ、入院への移行準備をなんとか用意することでした。

末期状態と時期の予測

在宅での介護や療養が限界となり、ここからは施設や病院でみた方がいい、という在宅の限界症状を知ることが、何よりも安心につながります。
「在宅の限界」とはどのようなことが考えられるか、ケアマネと主治医に個別にかつ父母に内緒で聞きしました。
ケアマネの見通しと主治医の見通しを受け止め、「いつ入院か」究極の判断が代理人である私の務めです。
これは、ケアマネや医師に任せることはできません、担ってもらえません。
本来は本人(父母)が、本人ができないのであれば代理人が、その人の生死を決断し、その後の責任を背負うこととなります。


在宅介護の最終段階

人間の自立の原則は言うまでもなく「自力で食べる」「排せつできる」「歩行できる」の3点です。

1)自力で食べる
自分の手と口で食べる、食欲があること
2)排せつできる
自力で大小排せつできること
3)歩行できる
起立し自らの足で歩行できること

これが人間ぞ、です。

・食欲はともかく「自分の手と口でご飯が食べられない」
・おむつはともかく「自力でトイレで用を足せない」
・ベッドから立ち上がり、食卓やトイレまで「つたってでも何をしてでも、移動できない」

この3つがビンゴになると、自立(ヒト)とは言えません。一つでも該当したら、家族による家庭での介護はもう限界、ということになります。
ちなみに、父が、最近、一日おきに入浴を希望し始めたのは、尿毒症が進行し、全身のかゆみが顕著になってきたからです。お風呂に入ると血行が良くなり、一時的にかゆみが止まり、ぐっすり眠られるようになるのです。末期症状の顕著な事例です。


在宅療養の最終段階

端的に言うと、救急車を呼ぶ、病院に搬送するタイミングのことです。
事前に、主治医と血液検査や健康診断の経過から、在宅で治療する(定期診断、血液検査、薬物投与、食事療法)限界、これ以上病状が進行したら入院しかない、という時期的、症状的、血液検査的な目安(症状)を想定し、そのときは連絡を入れる段取りをしておきます。

主治医は2週間に一度のペースで往診し、問診、血液検査、薬物投与を行っていますので、限界時期を誤っても、時間差は最悪2週間の間隔です。
決断したら、日時(平日休日)・時間帯(昼間、夜間、深夜)に関係なく、訪問診療病院に連絡し、主治医や主任看護師に最終的な助言(入院=「在宅はもういいでしょう」の終了宣告)を得ることとなります。

その助言、宣告を受け、私が入院を決断。これは、当然、事前にこうなった時は入院だからねと、本人にも事前に説明、同意を得る必要があります。
この決断と説明、同意了解は、ただただ重いものです。鉛の棒を飲み込んだ感覚という言葉があります。本当に、冷たく重たい鉛の棒を飲み込んだ気分でした。

子の責任、親の期待

これが在宅介護の終末期のシナリオです。意識のある親を終末療養の病院に送り込む(救急車に乗せる)、帰ることのない死出の旅への送り出しです。
退院するときは、玄関から出ることはできません、できても、せいぜい一時帰宅です。
私は、この一連のシナリオを、本来、介護に一番貢献し、父と苦楽を共にしてきた母に事前に伝えることができませんでした。すべてを飲み込んだ、ひとりでの決断。そのため代理人が、誰かひとり、必要なのです。
わたしは、私の人生が、父母のもとに生まれた意味、役割が、この決断を下す、背負うことだったのだと、この時、つくづく思いました。

子としての責任を果たす、親の期待に応えるとは、究極は、こういうことなのでしょう……。残酷でもあり、ちょっと言い訳でもあり、ウルウル……。


ことが起きるのをじっと待つ日々

そして、表向きは安らかな在宅療養の日々を共に過ごしつつ、息をひそめ最後の日を待つことにします。でも本当の最後は入院してからなのですが…。
以上、今回は今までで一番長いnoteになったかもしれません。
在宅介護の体制を構築しようとしている方、最終段階の裏側を想定しておきたい方の参考になるとうれしいです。


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