#メンタルヘルス
田舎と都会の”優しさ”は異なるカタチをしている。
「田舎の人間は優しい。都会の人間はみんな冷たい。」
そんな言葉を聞いたことはありませんか?
私は山形県の山奥の生まれ。中学校を卒業するまで過ごしていました。
小さいころから、このような言葉を耳にすることが多かったな・・・という印象が今でもあります。
その中で、私自身「田舎」での生活に対しての違和感も強くありました。
そのことについて書き留めて行こうと思います。
■田舎の人は優しい=>裏を返せ
徳を積むこと。積んだ徳はきっと我が身に返ってくる。それも意外なところから。【コラム的なお話】
”徳を積む”ということは”善行を行う”ということ。
私の家は仏教の曹洞宗の檀家である。お寺の住職さんからは、
「人の為になることをしなさい」
「悪いことではなく善い行いをしなさい」
と説かれることは多いです。最近も法要のあとの説法でこの話を説かれたばかり。幼少の頃から、家族にそう教えられた方々も多いことと思います。
<善い行い>
・公衆トイレに空き缶が放置されていたので拾ってゴミ箱へ捨てた
・
"不安"の正体と対処法について私なりに考えてみる【個人的考察】
突然、”不安”という黒っぽいモンスターが襲ってくることがあります。
彼らが私の元を訪問する時は、いつだって不定期。
せめて1ヶ月くらい前から「こちら”不安”と申します。後ほどお伺いしますね!」くらいのアポイントをとってほしいものです。(そんなことできたら苦労しないですね)
さて、そんな”不安”について、私が思っていることや、日々意識していることを簡単にお話します。
■”不安”の正体”不安”
何
「すみません」より「ありがとう」に溢れる日常へ。
日常の中で、「すみません」と口にすることはよくあります。
”すみません”を使うタイミング
・誰かに何かを手伝ってもらいたい時のお願いとして
・誰かに何かを手伝ってもらった時のお礼として
・仕事でミスをした時の謝罪として
・ただなんとなく
などなど
この言葉について、私の思うところを徒然と書いていきますね。
■「すみません」という魔法の言葉「すみません」という言葉は非常便利で、本来の意味を問わ
君が悩んでることって、前向いてる証拠なんじゃないの?
2012年頃にうつになり、その頃から、沸々と煮え切らないもどかしさや、漠然とした不安を強く感じることが増えました。ウロボロスのように終わることのない悩みの中に囚われて、答えのでない自問自答を幾度となく繰り返している記憶があります。
あの時こうしておけばよかった。
どうしてあんな選択をしたのだろう。
どうして今僕は、こんなにも苦しい毎日を過ごしているのだろう。
どうすればこのトンネルから抜け