「ナッシュ均衡」ってなに?

ブログ記事[2006/4/6]より転載

みなさん、「ナッシュ均衡」という言葉をご存知でしょうか?これは私が専攻している「ゲーム理論」という分野で用いられる最も重要な概念です。ミクロ経済学やゲーム理論を少しでも齧った方なら間違いなく聞かれたことがあると思いますが、ここ数年はゲーム理論がプチブームになっているようなので、ひょっとすると一般の方でも耳にされたことがあるかもしれません。ナッシュ均衡の生みの親であるジョン・ナッシュ博士は、2002年のアカデミー賞映画「ビューティフル・マインド」でラッセル・クロウが演じた主人公としても有名です。

ゲーム理論は、数学者フォン・ノイマンと経済学者モルゲンシュテルンの共同研究によって1944年に生まれたかなり新しい学問分野です。ゲーム理論と聞くと、「ゲーム=遊戯=子供の遊び」というような連想が働いて、何やら大人が真剣に分析する学問対象に思えないかもしれませんが、彼らのアプローチは極めて画期的なものでした。それは、「複数のプレーヤーが独自に戦略を決定し、その戦略の組み合わせに応じた得点(これを利得と呼びます)が各プレーヤーにもたらされる」というゲームの基本構造が、じゃんけんやチェスといった我々がイメージするいわゆるゲームを超えて、様々な社会・経済現象に対応している、というものです。実際に、ビジネスにおいても人間関係においても、自分の行動がどのような結果をもたらすかが、他人の取る行動に強く依存していることは多々あります。このような人々の行動が相互依存関係にある状況をうまく捉えることのできる分析道具がゲーム理論なのです。

さて、「プレーヤー・戦略・利得」という構成要素からなるゲームの構造自体はノイマンとモルゲンシュテルンによって提供されましたが、ゲームが与えられた時に「プレーヤーがどのように戦略を決定するか?」、そして「実現される結果がどのようになるか?」という理論の核心部分に対する彼らの答えは不十分でした。具体的に言うと、彼らは上の問いに対して「ミニマックス解」というプレーヤー間の戦略の読み合いに焦点を当てた解概念を生み出したのですが、残念ながらこの理論は二人ゼロサム・ゲームという非常に限定されたクラスのゲームでしか有効でなかったのです。せっかくのゲーム理論も、これでは仏作って魂入れずでしょう。この閉塞状況を打ち破りゲーム理論に革命をもたらすことになったのが、青年ナッシュが1951年に提出した博士論文、そしてその中で明らかにされた「ナッシュ均衡」という概念です。では、このナッシュ均衡はどのような点で優れていたのでしょうか?

「ナッシュ均衡」を言葉で説明すると「相手プレーヤー達の戦略が変わらない時に、自分一人だけ戦略を変えても利得が増えないような戦略の組み合わせ」となります。やや硬い表現なので分かりにくかったかもしれませんが、要するに「自分だけ戦略をいじっても得できない」状態がナッシュ均衡なわけです。逆に言うと、もしもゲームのプレーがナッシュ均衡でないならば、少なくとも一人は戦略を変化させて得をするプレーヤーがいることになります。ナッシュ均衡は、このような不安定な状態を排除して安定的な状態をゲームの結果として採用しよう、ということを言っています。この一見すると当たり前のようなナッシュによる定義が、それまで誰も思いつかなかった「目からウロコ」の大発見だったのです。しかも更に驚くべき点として、ナッシュ均衡は先ほど紹介したミニマックス解とは異なり極めて幅広いクラスのゲームで必ず存在することが明らかにされました。つまり、ほとんどのゲームがナッシュ均衡によって「解く」ことができるのです。これがゲーム理論の経済学、あるいは他の分野への応用の大きな原動力となりました。

おすすめの5冊
ナッシュ均衡を発表したナッシュの原論文「非協力ゲーム」は『ナッシュは何を見たか-純粋数学とゲーム理論』に収められています。おそらく一般の方には非常に難解だと思われますが、日本語訳を頼りにじっくり腰を据えて読まれても良いかもしれません。
ゲーム理論の世界』は、ゲーム理論が歩んできた歴史を詳しく紹介しています。ゲーム理論の創世記から研究に携わり、日本におけるゲーム理論研究を支えてきた著者の熱い思いが文章からも伝わってきます。
比較制度分析に向けて』は、経済システムの多様性をゲーム理論の言葉で表現する、という壮大な分野を切り開いてきた著者自身の研究の集大成です。そこでの分析の中心を占める考え方が、制度の違いを実現されるナッシュ均衡の違いとして捉える、というものです。大著かつ難解ではありますが、是非本書を通じて日本人経済学者の独創的な業績に触れていただければ、と思います。
ゲーム理論が経済学にもたらした変化、そしてその際にナッシュ均衡が演じた役割は、『現代の経済理論』の第一章「ゲーム理論による経済学の静かな革命」で大変分かり易くまとめられています。本稿で扱えなかった「ナッシュ均衡がなぜ達成されるのか?」という問題に対する解説も詳しいです。
最後に、ゲーム理論の入門書として『戦略的思考の技術-ゲーム理論を実践する』を紹介させていただきます。ゲーム理論の入門書は数多く出版されていますが、内容の信頼度・読みやすさ・新書ゆえの値段の安さなど、どれをとってもオススメです。これから入門書を探そうという方は、是非本書を手にとって見て下さい。

紹介した文献
『ナッシュは何を見たか -純粋数学とゲーム理論』クーン&ナサー(シュプリンガー・フェアラーク東京・2005年)
『ゲーム理論の世界』鈴木光男(勁草書房・1999年)
『比較制度分析に向けて』青木昌彦(NTT出版・2003年新装版)
『現代の経済理論』岩井・伊藤編(東京大学出版会・1994年)
『戦略的思考の技術-ゲーム理論を実践する』梶井厚志(中公新書・2002年)

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