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【映画本レビュー】『メロドラマの想像力』河野真理江・著--メロドラマを追求する著者自身がついにはメロドラマそのものになったのかもしれない


33歳で急逝した著者の残した文章を集めた遺稿集。そのためバラバラな文章が並立するのは避けられないのだが、それでも構成によって単著としての統一感は作られている。それだけぶれないひとつの軸を、著者は常に持っていた。

本書は大きく3つの章に分かれ、それぞれ「メロドラマの力」「メロドラマに輝くもの」「メロドラマは拡散する」と題されている。お気づきのとおり、というか本書の題名にもあるとおり、著者の研究テーマは一貫してメロドラマである。第1章では2つのテキストが配置され、まずはメロドラマとは何かを論考している。もっとも文中では結局、メロドラマとは何かとは結論づけられない。時と場所によって意味合いは多分に変化するし、ジャンルどころか概念としても捉えられないためだ。だからこそ、《時代と地域文化を超えてジャンルとジャンルの間に背繰り返し立ち現れる特質》(p32)であるメロドラマを模索することでの映画研究も可能だと結論付けている。そして第2章と第3章では、具体的な作品や役者について、メロドラマとしての観点から分析を行なっている。

これはボクの自論であるが、メロドラマとは観客の感情をいかに揺さぶるかに大きな価値基準を置いているのだろう。それゆえメロドラマは無垢な観客の人心を惑わす低俗なものと判断され、お堅いつもりの映画評論家からは馬鹿にされるか無視されるかだけだ。メロドラマ邦画の最高峰『君の名は』(岸惠子のほうね)も、観客が熱狂し号泣して社会現象になればなるほど、批評家たちは(さすがに無視はできない状況なので)酷評に傾かざるを得なかった。映画批評において観客の感情など邪魔な要素でしかないと思い込んでいるのだから。しかし映画が観客個々の感情を揺さぶり、その集合体が社会に大きく影響するのであれば、作品におけるメロドラマとしての価値は正しく分析しなくてはならない。

現在においても、特に男性アイドル主演のラブコメ映画などは、初日からシネコンを客席を満員にするほど大量の女性客の感情を大いに揺さぶるほどの社会的影響力があり、メロドラマと称して差し支えない。しかし、まずその事実を知っている映画評論家がどれだけいるのか、ふと疑問に思う。高尚な口ぶりで是枝だ濱口だと唱えているのも構わないが、メロドラマの系譜にあるものを低俗だからと視界から外すのであれば、大きな社会のうねりを見誤るのではないか。

本書に収録されているテキストの中でひとつおすすめを挙げると、「映像メディアにおける同性愛表象の現在」は読み応えがあった。2021年に雑誌「現代思想」に寄稿したテキストが初出で、『おっさんずラブ』『きのう何食べた?』『窮鼠はチーズの夢を見る』などの映画・ドラマを取り上げ、そこでは同性愛がどのように描かれているかを分析している。なお、今挙げた作品は全て男性同士の恋愛がテーマだが、いずれもが「ノンケの人がゲイを好きになる」というBL的なテンプレをなぞってると指摘し、「性別は関係なく、人が人を好きになる」という価値観に落とし込むしかないのが現代日本における同性愛表現の限界だと、著者は看過している。一方で女性同士はどうかというと、Netflix映画『彼女』に今の価値観の限界を超えている瞬間があるとし、日本映画の未来に期待を寄せている。

それにしても、同性愛をどのように扱っているかの分析は今後のあらゆる表現において必要不可欠であるし、そうした場において著者が重要な存在になるはずだったと、このテキストだけではっきりわかる。起きてしまった事実は受け止めるしかないが、喪失感からは免れない。このような感情もまた、ある種のメロドラマに起因するものだろうか。著者・河野真理江は、図らずもメロドラマそのものになったのかもしれない。


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