ビギナーズクラシックス 韓非子

「韓非子」そのものではなく、韓非子の入門書。
 中国人は表面的には儒教を信じているが、その奥底には老荘の思考がある、というのはよく言われることだ。
 では、統治にあたってはどうかといえば、奥底にあるのは韓非子が大成した法家の思想。

 儒教では孝を重んじる。親至上主義であり、親への孝行がもっとも大事なことでそれができないやつは獣と同列という思想だ。20年間親への復讐だけを考え、家を出てからはやつらに関する記憶を抹消しようと努めている私には理解できない。まあ、私のことはどうでもいい。
 孝を重んじる儒者に対して韓非子は言う。孝ならんと欲すれば忠ならず、親への義理を尽くそうとすれば君主を裏切る結果になることも往々にしてあるというのだ。

 儒者は徳治を主張する。君主個人の徳によって国を納めるべき、というのだ。君主が民を愛すれば、民も君主を愛するので国家は安泰。
 韓非子は法治を主張する。徳治なんぞクソ喰らえ。韓非子の生きた戦国時代末期は秦が力をつけ、統一一歩手前にあった。その力の源は厳格な法治にある。孟子や荀子といった、孔子の後継者を自認するものたちは秦や、法治的なやり方を非難する。それは短期的にはうまくいっても、結局は民の反発をまねき、崩壊すると。
 それに対して「うっせえ、ボケ。なーにが徳治じゃ、現実見ろ現実」と説くのが我らが韓非先生。人間は利を好むものであり、利を示せば動くもの。法によって賞罰をあきらかにすれば人民は必ず治る。

 以前から気になっていた、中国皇帝の性格についても窺い知ることができる。
 韓非は言う。君主とは、徳(報酬)と刑罰を与える存在である、ゆえにこの権利をだれかに譲り渡せば、そのだれかが君主に取って代わることになる。
 君主と進化の利害は対立する。君主が直轄地を増やせば進化の土地は減り、進化が権勢を大きくすれば相対的に君主の地位は下がる。臣下が自身の利益を追求すれば、最後には君主にとってかわることとなる。

 ローマではこれとは異なる。王は元老院議員を指名できるが、刑罰は法によって行われる。共和性に入れば軍事と政治の長である執政官は選挙によって選ばれ、人事権は持たない。帝政になってからも、市民集会は開かれ、執政官や法務官といった政府の役職は選挙で決められていた。

 君主の絶対性、臣下との対立、これらが中国皇帝の特徴であろう。

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