17 返報性と単純接触効果(の否定)

 この二つには本当に気をつけなければなりません。


 たとえば、ものをもらうと、ものをあげたくなります。
 恩を受けると恩返しがしたくなります。
 あたりまえのことで、じつに人間らしい、あたたかい心ともいえます。

 雑な理解かもしれませんがこういうのを返報性の原理とか言うようです。


 また、単純接触効果というのは、同じ刺激を何度も受けるうち、それが心地良くなっていく、というようなことです。
 最初は少し嫌だなと思ったことでも、だんだん慣れていって、繰り返すうちだんだん好きになっていくというようなことです。

 

 この二つを踏まえますと、小さな飲食店においては、「おみやげを持ってくる」「たくさんお金を払う」「来店回数が多い」「いっぱいしゃべる」というようなお客のことを、店員は次第に好きになっていくと考えることができます。そして「付き合いが長い」という関係になっていきます。

 人間ですから無論、自分や自分のお店によくしてくれる人に好意を持つのは当たり前だし、付き合う時間が長ければ愛着もわいてくるもの。
 とはいえ、本当にそれでいいのか? というのは別の話として考えたいわけなのです。

 あるお客が粗暴な振る舞いをしたとき、その人が「おみやげを持ってくる」「たくさんお金を払う」「来店回数が多い」「いっぱいしゃべる」「付き合いが長い」人であれば、「あの人はお得意さんだから」という形で、その行為の罪を割り引いてしまう。
 それは実のところ人情というもので、人の生きる世の中というのは常識的にそういうものだったりもします。
 経営的にも、もしその人が来なくなってしまったら痛手なわけですから、その人の粗暴な行為によって、初めてきた人やそれほど多くはこない人たちに不利益がもたらされたとて、優遇したいのは「お得意さん」のほうです。小さなお店ではたった一人の「太客(ふときゃく)」が経営を左右し、死活問題となるので。

 しかし、もしも返報性の原理や単純接触効果を無視し、また「金儲け」さえも軽視できるなら、このお客さんに優しくする理由はありません。

 逆に、返報性の原理や単純接触効果に従い、「金儲け」をある程度重視するのなら、このお客さんに優しくせざるを得ないことになるわけです。

 夜学バーが選ぶのはもちろん前者。「頻繁に来店し、ものもくれるしお金をたくさん払うけれどもうるさくて粗暴な人」を優遇し、「たまにしか来なくて、何もくれないしお金もあんまり払わないけれども落ち着いたいい人」を疎外するのなら、「夜学バー」なんてたいそうな名前を冠する意味がない。「バー粗暴」とかにします。それでウェーイ! とか言ってたほうが絶対に儲かります。なんなら僕はそれなりに有能なのでバーではない別の仕事をしたほうが儲かる可能性も高いと思います。


 お金をくれたから優しくする、というのは野蛮な発想だと僕は個人的に思うのです。また「会う回数やともに過ごした時間が多ければ無条件で好きになる」というのもあまりに単純すぎます。もちろん僕の中にはそういう感覚がちゃんと、人並みにあります。だからこそブレーキ踏む必要を感じるのです。

 かつて学校で同じクラスだった同級生のことは、なんだか知らないけど好きで、なんだか知らないけど仲良かったりします。それはもうほとんど時効のようなものですが、「仲の良い理由」として「昔から知ってるから」しか浮かばないのだとしたら、ちょっと寂しい話ではあると思います。
 もちろん、そういう「なんだかわからないが無条件で仲が良い」という関係は人生を支えてくれます。バーやスナック、小料理屋、喫茶店などの小さなお店にもそういう関係は無数に輝いています。巷にいくらでもあるんだから、「夜学バー」なんてたいそうな名前をわざわざつけたお店がそれをやる必要はべつにないんじゃないかという話です。そういう俗世の常識から離れた聖域にしておきたいのです。

「ここが俺らのサンクチュアリ♪」というのは湘南乃風の『サンクチュアリ』という曲の歌詞ですが、「俺らのサンクチュアリ」というような「俺ら」が固定されることを夜学バーはけっこう恐れています。馴れ合いになり、単純接触効果が異常増殖し、正常な判断が失われていきます。「正常」というのは、「俺ら」の外側にいる人の発想、考え方、気持ちを踏まえられる、というようなことです。

「お世話になってるから」と許すのではなくて、「お世話になってるけれどもそれとこれとは別の話で、あなたの今の態度および発言は看過できませんのでみなさまにちゃんと謝り、以後おとなしくしていてください」という内容をしっかりと伝えられる状態でいなければなりません。夜学バーの中の人は。

「お得意さんだから」「お世話になってるから」「ダチだから」的な発想は、閉鎖的な「俺ら」を形成し、その外側を見えなくさせます。「俺ら」を作ってしまうと、もうその中でしか遊べません。夜学バーにはどんな人が来るかわからず、その人と一緒に遊べる可能性を常に開いていたいのです。
 どれだけ恩があろうが、どれだけ単純に接触していようが、それはそれ、これはこれ。お店の中では関係ありません。


 ↓に毎回、「おねだりページ」のURLを貼っておりますが、ここからお金を下さったとて、僕および夜学バーというお店はべつにその人に優しくはなりません。返報性の原理が正常に働けば、「あの人はお金を○万円もくれたんだから、何かお返しをしなきゃ」「少しくらいの粗相は許してあげなきゃ」みたいに思うはずなのです。そう思うようになったら夜学バーはおしまいです。誰から何をもらおうと、「ありがとうございます」という偉大なる感謝が生まれるだけです。みなさん安心して我々にお金をくださいまし。

 本当に僕は、お金をもらったくらいで気持ちが濁るような人間ではありません。だって普段から原価数十円のコーヒーで400〜500円もらってるわけですもの。それと「ただ現金をもらうこと」の間に、なんの差もないと僕はけっこう本気で思っています。差額は差額。原価が数十円か、0円かの違い。(いよいよわけのわからない領域になってきましたね。)


 や、アッシはもちろん人の子で、古風なんでヤンスから、「恩返し」ということだけは人並み以上に考えていると思います。「困ったときはお互い様」という言葉も大好きです。だけどそれはそれ、これはこれで。


 ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、ただ単純に「分けて考える」ということかもしれません。



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。


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