15 客層、客筋(3) 「思考」を噛ませる

 ついに、この夜学バーが「どういうお客を歓迎するか」という話です。

 一言でいえば、「思考」を噛ませてくださる人。

 思考を噛ませる、とは?
 ここで「噛ませる」とは「挟む」というような意味です。
 思考を挟んでくれる人。

【例1】
 Aさんがある話をする
 →Bさんがそれを聞く
 →Bさんがそれについて思考する
 →Bさんがそれについてコメントをする
 →Aさんがそれを聞く
 →Aさんがそれについて思考する
 →Aさんがそれについて反応を返す

 こういうようなことです。(果たしてわかりやすいのか?)
 思考を噛ませない場合は、以下のようになります。

【例2】
 Aさんがある話をする
 →Bさんがそれを聞く
 →Bさんがそれについてコメントをする
 →Aさんがそれを聞く
 →Aさんがそれについて反応を返す

 ただ2行抜いただけです。どう違うんじゃ、というのは説明が難しいですが、要は「慎重に話す」というだけのことです。
 それは「その時、その場でだけ生まれる独自の(オリジナルな)言葉を発する」というようなことでもあります。

「11 知ってること言うの禁止!」に書いたように、歓迎したいのは「その時に考えて出てきた言葉」であって、「もともと自分の中にある言葉」ではありません。

 長く生きれば生きるほど、自分の中で言葉が固形化し、定着します。
「こういう話題が出たら、この話をする」「こういうことを言われたら、こう切り返す」というふうにどんどん自動化していって、楽をしようとするのが人の脳。
 これが進行すると「考える」ということをしなくても人とコミュニケーションでき(ているような気にな)るようになります。何も考えず、反射のように人と話す。

「職場の飲み会」みたいな場では、上司が紋切り型な言葉をかけてきて、それに対して紋切り型に返す、というような「接待」的場面がけっこうあると思います。「〇〇チャン、なかなか△△じゃナイノ〜〜」「イヤですわ部長ったらァ〜」的な(なんか古い)。
 そういうふうにパターン化した陳腐で凡庸なやりとりは、僕個人の感想として、夜学バーにおいては楽しくないので、できるだけなくしたいのです。


「すでに自分の中にある言葉」を発するのは楽だし、それが「鉄板トーク」「鉄板ネタ」的なものであれば当然「アンパイ(安全牌)」なわけですから、まあ言いたくもなります。とてもわかりますし、僕ももちろん(夜学バーにおいてさえ)そのようないわゆる「エピソードトーク」を利用することは多々あります。それ自体は問題ではありません。
 その「トーク」や「ネタ」が本当に、その時その場にふさわしい内容であるか、その時その場にふさわしいような方式で披露できたか、長すぎはしないか、そこからどこかへ発展しうる広がりを持たせられたか、などなど、気をつけるべきことは無限にあります。
 ただの独立した「面白い話」でしかないなら、TwitterやYouTubeに投げればいいわけです。その話がその時その場に存在する意味が、ちゃんとあったか。
 どんな些細な言葉や音、振る舞いでも同様です。いつでも「思考」というものを噛ませ、適切かどうかが検証されなければならない。


 また非常にめんどくさい感じのことを書いてしまいました。気むずかしい、頑固な人間に思われがちですが僕は、ただ四六時中遊んでいたいだけの人間で、そのためにこのようなわけのわからないことをずっと考えています。
 別にそれが「笑い」を誘うような、ジョークや冗談でなくてもいいのです。僕は性格上ボケとかギャグみたいなことをいっつもやっていますが、マジメで真剣な話をしながらでも、リズム良く小気味よく、楽しく遊ぶことはできます。知的な(とは?)掛け合いで駆け登って生まれる感動は素晴らしいものです。


 その時、その場で輝く言葉や振る舞い。それを生み出すためには、「すでに自分の中にあるもの」だけでは足りません。「その場で生み出されるもの」がなくては。なぜならば小さなお店のような「場」は、決して自分一人だけでは作り出せないから。そこには必ず他人がいます。複数の人たちが同じ場所にいれば、みんなでバランスをとりあうことが不可欠。その組み合わせやタイミング、あらゆるものごとのコンディションによって、ふさわしい言葉や振る舞いはまるで変わります。だから「思考」というものを噛ませる必要があるのです。極力、常に。

 こんなことを書かれて「このお店、行きたい!」と思ってくださる方がどれだけいるのでしょうか。非常に不安ではありますが、今のところそれなりの人たちが通ってきてくれております。その人たちの中には「まーたジャッキーさん(僕のこと)がめんどくさいことをぐだぐだと書いてますなあ」とくらいに思う方も多いかもしれません。しかし、こういうことを考えて、わざわざ書くからこその安心感というか、安定感みたいなものもたぶんあって、それでみなさん「相変わらずじゃのう」と安堵して見捨てずにいてくださっているという側面もあろうかと存じます。多少めんどくさそうに見えますが、それでもけっこういいやつだと人からは思われているはずなのです。怖いもの見たさにでも、よろしければおたずねくださいませ。

 僕がこういう面倒なことをいっさい書かなくなったら、その時こそ夜学バーというお店は何か変容したのだと思います。それは必ずしも悪いことではないと思うので、そういう日も来るかもしれないと同時にご期待もぜひ。


 この企画もついに折り返しですが、次回もお客に関する話。ちょっとだけ具体的なことを書いて、全4回でおしまいにします。

 



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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