03 扉のむこうの物語

 お店には「入りやすさ」「入りにくさ」があります。
 それは店構えの雰囲気から無意識に感じ取るもののようです。

 聞いたことがあるのは、「お店の扉の前に段差があると入りにくい」とか、「入り口はせり出しているより、へっこんでいるほうがいい」とか。(前者は人から聞いた話、後者は『喫茶店経営の開業と経営の秘訣』による)

 扉は境界線をつくる。その先は異空間。誘引するには工夫が必要で、古来から商売人たちは頭を悩ませてきたことでしょう。
 最近は透明なお店が流行っています。外から中が丸見えで、中からも外が丸見えな。そういうのを「入りやすい」と現代人は思うようです。

 夜学バーは約10のテナントが入った「雑居ビル」の3階。扉は不透明で、いっさい中が見えません。重たい扉を自分の手で引くまでは、その中で何が起こっているのか、まったくわからないわけです。
(ここ2年間は年がら年中換気しているので隙間から覗き込むことができますし、扉の重さもさほどには感じないと思います。自信のない方は今のうち。)

 つまり、夜学バーは非常〜〜に「入りにくいお店」なのです。扉の先は異空間。鬼が出るか蛇が出るか。とって食われやしないだろか。「非常ドアを開けるたびに胸がなぜかドキドキする」なんて歌がありましたが、非常ドア級に開けづらいドアー、かもしれません。

 開けようか、帰ろうか、悩めば悩むほど、その扉を開けた瞬間の光景は焼きつきます。場合によっては、一生忘れないほど鮮烈に。

 その感覚を大切にしたくて、夜学バーは店内の様子をできるだけインターネット等に公開していません(Twitterには多少出していますが、ホームページには文字しかありません)し、店主(僕)の顔やすがたかたちも極力出さないようにしています。なかなかの好青年なのでぜひ現地で。
 いまの世は、あらかじめ何もかもわかっていたほうが安心する「答え合わせ社会」。それをいやがり、古風にやってます。(学校というのは答え合わせ社会の象徴ですが、夜学バーは学校ではないのです。)

 厚くて重い扉のむこうに、何があるか。何もないかもしれません。でも少なくとも誰かいます。誰かいますが、何か良いことが起こるとは限りません。
 少なくとも誰かがいて、自分がそこに入っていく。そこで何かが起こるか、起こらないかというのは、ある程度自分の裁量です。自分がどう振る舞うか、によって、何が起こるか、というのは変わってきます。

 人間というのは、近くで誰かが何かをしたら、反応をします。その反応の繰り返しが、出来事となり、物語となります。
 小さなお店に行くというのは、それに参加するということでもあります。
 何かをしてみたり、何かに反応してみたりすると、誰かがそれに反応します。それが連鎖して、続いていきます。楽しい時間となったら幸いです。

 それは扉を開ける瞬間から始まります。誰かが扉を開けると、その中にいる人が、なんらかの反応をします。

 店主である僕は、プロローグを静かに始めたい人です。だから扉が開くとき、できるだけ静かにしています。といって何もしないわけではありません。「こんにちは」とか言うと思います。その小さなさざなみから、はてしない物語が始まります。



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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