02 小学生からのバー通い(バーに通うのは早いほうがいい?)

「もっと若いうちにこういうお店に出会えていたらなあ」

 とのお言葉もよく頂きます。

 前回書きましたが僕(夜学バー店主)がバーに通うようになったのは20歳の時で、とても幸運なタイミングだったとは思いますが、「もっと早かったら」とも思います。そうしたら中高生の頃の鬱屈した自分は、もっと救われていたかもしれないと。

 だから、いま10代で自分のお店に通ってくれている人たちを「羨ましいなあ」と思います。だけど本人たちからするともしかしたら「それでも遅かった」と感じているかもしれません。「小学生くらいから来ていればよかった」とか。

 後悔は遡って果てしなく、ないものねだりのアイウォンチュー。
「もっと勉強しておけばよかったよ」と多くの大人がぼやくのと同じかも。
 大切なのは足元と前方。「振り返るな、前を見ろ! 希望はそこにあるものさ」とガンバマンという戦隊ヒーローが言っていました。後ろには夢がないとも聞きます。

 夜学バーの5年間の歴史上、「一人で通ってくる小学生」は二人だけです。うち一人は、保護者と一緒に来たことは一度もなく、いつも一人。一度だけかなり年上の友達を連れてきました。
 初めて来たときは、建物の入り口まで保護者が連れてきて、「ほい、行っといで」と単身、階段を登らせたそうです。粋なことをするものですね。

 僕のほうは、いきなり小学生が一人で訪ねてきたものだから、たいそう驚いたわけですが、「常識でお客さんを差別しない」のが信条。年齢や見た目によって対応を変えては、夜学バーの名が廃ります。「ボクひとり? お母さんは?」なぞとは死んでも言いません。
 僕は緊張しておりました。さすがにお店で小学生と一対一で向き合うのには慣れていないから、というのもありましたが、初めての相手とはいつだって緊張するものです。たぶん相手もそれなりには緊張していたことでしょう。
 ポツポツと話をしたり、静かに漫画を読むなどして少しずつ打ち解けあい、いつの間にかお互いに「友達」と思えるような関係になりました。その人が小学4年生の時でした。

 彼は、来るたびにMoo.念平先生の『あまいぞ!男吾』という作品をむさぼるように読みます。時には「あとこんだけ」と習い事に遅刻しそうになることさえありました。僕も小学生の時、同じ作品を同じくらい熱中して読んでいました。
 たぶん彼の記憶には『あまいぞ!男吾』と夜学バーがセットで焼き付くことでしょう。それが人生を明るく照らしてくれることを願ってやみません。

 僕のおばあさんは喫茶店を経営していて、たまに遊びに行くと、置いてある少年ジャンプとかをソファ席に寝っ転がり読み耽っていました。1年ぶんくらい保管してあったので退屈しません。その時に読んだ漫画のことはよく覚えていますし、それはその喫茶店のコーヒーとタバコとトーストの匂いとセットになっています。風景も。色合いも。

 いま彼は6年生で、受験を控えているためか、しばらく顔を見ていません。また会えるといいな。

 彼にとって夜学バーは、漫画を読む場所であり、僕やその場にいる人とポツポツ言葉を交わす場です。たったそれだけなのですが、きっと彼の考え方や生き方になんらかの影響を持つでしょう。
 それが「プラスのものである」という予感がもしあれば、また通ってきてもらいたいものです。
 それは誰に対しても同じ。かつて来てくれていた人たちに対しても。

 具体的にものすごく良いことなんてそうそうは起きないかもしれません。それでも「ここに来ることはきっと良いことなのだ」と思ってもらえるような場所でありたい。
「若いころにこういうお店に出会えていたら」「もっと早くから通っていれば」という感想はおそらく、「だってなんだかわからないが、ここにいることはとてもいいことな気がする」という気分によって支えられています。

 その気分がどこから来るのかというと、きっと彼が初めて夜学バーの扉を開けたとき、僕が決して顔色を変えず、特別扱いもグッとこらえて、向こうも「若い」という特典に頼らないで、ただ友達になるための道筋を探り合っていた、あの美しい時間をともにつくりあげた心の工夫から。
 そういうことの積み重ねで、空間の時間は良き質量に満たされていきます。

 初めは緊張から。ほんの少しずつ。

 当たり前のこと、「良い」という気分に出会えば、「もっと早くから」と思うものでしょう。
 僕は『ドラえもん』という漫画をものすごく小さい頃から読んでいますが、もしいま初めて読んだとしたら、「ああ、こんな作品をもっと小さい頃から読んでおきたかった!」と思うでしょう。
 その幸福をできる限り前倒ししておきたかったと思うでしょう。そうしたらその後の生き方が今よりもさらによくなっていたのではないかとさえ思うはず。
 その時、何十年という時間に一挙に魔法がかかります。

 時間は巻き戻せません。
 だけど愛や美は遡って人生を彩ることがあります。
 良いものを良いと「いま」思う事実が、それまでの人生を報わせるのだと僕は思います。

 取り返しのつかない現在を生きているからこそ、遡って潤してくれる良きものを探して歩く。たぶん、だから大人は芸術を求めるようになるのでは。
 何も遅くはない、というか、遅いからこそ求めるわけなので、素直に、自然に。いつだっておいでください。
 
 最後詩のようになりました。癖です。こんなんだからバズらない。
 



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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