07 夜学バーの成立要件(2) 「開かれた場」とは?

 前回は「カウンターの形と立ち位置」について書きました。
 それは物理的な位置どりの話でしたが、今回はもうちょっと精神的、抽象的な面から同じようなことを書いてみます。

 夜学バーの成立要件の一つに、「開かれている」ということがあります。
 それは「可能性が常に担保されている」ということです。

「トランプをしている間は、トランプしかできない」とは、僕がでっちあげた格言。
 トランプをしていると、その間は、トランプ以外の可能性が閉ざされます。

 たとえば、お店に店員とAさんとBさんがいて、店員とAさんが話しているとします。その時、「店員とAさん」という二者間で完全に閉じているような話し方をしていると、その二人による「場」は「Bさんに開かれていない」ということになります。
 わかりやすく言えば、店員とAさんが、「ケンジとユミ」という共通の友人の話をしている場合です。Bさんはケンジとユミのことをまったく知りません。その時、話題は店員とAさんの間で閉じています。Bさんに入り込む余地はありません。
 気の利いた人ならば「あ、ケンジってのは〇〇で、ユミってのはその××なんだけど」といった注釈を入れてくれます。その時に話題は(場は)Bさんに対して開かれます。
 そのような「場の開き方」は常套手段ですが、ただそれだけですべてが開かれるとも思えません。それによってわかるのはせいぜい「店員とAさんとケンジとユミがどういう関係か」という情報のみ。悪くすれば「ちゃんと説明したからね」というエクスキューズ(言い訳)をタテに、ケンジとユミの話はそのまま進行し続けます。
 これではとても、「場が開かれている」とは言えません。ケンジとユミの話をしている限りは、ケンジとユミの話しかできないのです。

 いくつかテクニックはあります。たとえば「抽象度を上げる」です。ケンジとユミという具体的な話題をしているうちは、ケンジとユミに話題は閉じますが、「ケンジってこういうやつなんですよ。そういうやつっていますよね?」というふうに、一段階抽象度を上げますと、「ああ、僕の友達にもそういうやつはいますね」と口を挟むことができて、そこから「どういうふうですか?」と新たな具体が引き出されていきます。

 また、「黙る」ということも重要です。話が閉じ切っていることに気づいたら、とりあえず黙る。沈黙を恐れない。すると思いもよらない方向に話は飛んでいったりしますし、そうでなくとも、とりあえずケンジとユミのことは忘れることができます。
 人は、ひとたびケンジとユミの話を始めたら、永遠にケンジとユミの話をし続けたいものなのです。そこをグッとこらえて、ケンジとユミには終止符を打つ。酔っ払ってくるとこれをなかなかできなくなる人がけっこういて、何時間もケンジとユミの話を延々続け、ズーーっと盛り上がり続けます。それはそれで一つの美しい酒場のあり方とは存じますが、夜学バーはそこをこじ開けて開き続けていたいお店なので、そうはならないよう努力したいのです。

 前回の立ち位置の話に絡めますと、

席|      
●|    店員  
席|
席 \______
 席 席 ○ 席
      入口

 このような構図のときに、店員が●さんと話しているとします。そのとき、たとえば身体の向きは、


席|      
●|   ←店員  
席|
席 \______
 席 席 ○ 席
      入口

 こうであってはいけません。これだと、店員と●の間で場が閉じます。
 

席|      
●|    ↙︎店員  
席|
席 \______
 席 席 ○ 席
      入口


 こうでなくてはならないのです。(見づらいかもしれませんが、矢印が左下を向いています。)
 このとき店員は、●さんと何か特定の話題を交わしつつ、○さんに対しても同様に身体と意識を開いていなければなりません。○さんとの交流可能性を常に確保しておくわけです。もちろん○さんを無理にその話題に引き入れる必要はないし、それを目指すこともありません。ただ、○さんがいつでも声を出せる余地だけは残しておきたい。

 すると○さんは、「自分にはよくわからない話なので、とりあえず黙っておこう」と判断したとしても、あんまり寂しくはないはずです。
 なぜかというに、「入ろうと思えば入れる」という状況が目の前にあるがゆえ、「自分の意思で入らないのだ」と思えるからでしょう。
 もしもそのとき、話題が瞬間的に切り替わり、○さんの大好きなアイドル歌手の話にでもなったとしましょう。○さんは即座に「ソレェ! 1983年の仙台ライブの話ッスヨネェ!!」と口を挟めます。適切に場が開かれているというのは、そういうようなことです。

 と、書くことは容易いのですが、「今現在会話を交わしていない相手に対して、場を開き続ける」というのはどうもそう簡単ではないようです。身体の向き、目線、身振り手振り、声の調子、テンションなどなど、あらゆるコミュニケーションの要素を常に適切に調整し続ける必要があります。人によってはだいぶしんどいでしょう。でもそれをやらないと、夜学バーのようなお店は成立しません。

 これは言葉で説明するのは本当に難しいことです。でも、よろしければ今度、どこかのお店に行ったとき、あるいはお店でなくとも、複数人で同じ空間にいる機会があるとき、観察してみてください。やっている人は当たり前に自然にやっているし、やっていない人はとことんやりません。

 小さな飲食店で多いのは、店員がAさんと話す→Bさんと話す→Cさんと話す→Aさんと話す→Bさんと話す→Cさんと話す……というように、順々に会話を「回して」いくスタイル。「一対一の関係」が同時に複数ある、という感じで、「一つの場」という感じにはなりません。これはこれで一つのスタイルなのですが、夜学バーはここを目指しません。あくまでも場は「一つ」です。
 ただし、「みんなで一つの場を共有する」ということと、「みんなで一つの話題について話し合う」というのは決してイコールではありません。ある話題について、話すも話さないもその人の自由。ただ、話さない人もその場に確固として存在しているのだ、ということを誰もが忘れない、というのが、「みんなで一つの場を共有する」ということの成立要件です。

 自由でありつつ、無視されず、干渉も強制もされず、それでいてなぜか寂しくない。そういう奇跡的な状態。いつでも、それが適切でさえあればみんなが話を聞いてくれる。適切でない話は聞かなくてもいい。
「開かれた場」というものは、私見でございますが、「出入り自由」が原則です。「絶対に入らなければならない」というのは、「開かれた場」ではないと思います。むしろ閉じています。村のように。

 最初に書いたように、「開かれている」とは「可能性が担保されている」ということ。どこへでも行ける。「入るも入らないも選ぶことができる」という前提がなければ、そのつど世界が半分ずつ消えていくようなものです。
 

 難しいんで、「いつもできてます!」とはとても言えません。お手やわらかに。そんな奇跡をめざしましょう。



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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