04 平熱からの飛翔

 剣の達人は、普段はおとなしく静かだけれども、刀に手をかけるや凄まじい瞬発力を発揮して、バッタバッタと敵を薙ぎたおす、みたいなイメージがあります。
 ふだんは平熱、そこからの飛翔。

 忍者は、いつでも飛び上がったり走り出せるように、座るときも片膝をついて、片方の手の拳を地面につけた状態で待機するそうな。クラウチングスタートっぽい形。
 まさに平熱からの飛翔。

 タモリさんは司会をするときクールというか、無表情な調子で淡々と喋ります。そこから場の様子や話す相手に合わせて態度やテンションを変えていきます。井上陽水さんや玉置浩二さんと一緒ならインチキな歌をわめくし、間寛平さんが相手なら猿になりきってケンカを始める。

 原点から出発すれば、どの方向にでも行ける。いつもどこかの象限(数学で使う座標みたいな話です)にいると、他所へ行くのが億劫になって、いつの間にかその象限の中でしか遊べなくなる。

 ウェーイ! イェーイ! ばかりだと、ウェーイ! イェーイ! 以外の遊び方を忘れてしまうし、ウェーイ! イェーイ! に慣れていない人と仲良くすることが難しくなる。

 どこへでも行けるように、まずはどこにも行かないでいる。
 そのために、お店ではまず平熱を心がけます。

「まず」というのは、そこからどこへでも行きたいから。
 ただし、すぐに原点へ戻って来られるように気をつけながら。

 お客が扉を開けると、僕は「こんにちは」とか言います。別の言葉かもしれませんが、その程度のことを言うとしたら言います。
 それが誰であれ、「こんにちは」くらいのことを言います。たとえタモリさんでも、「こんにちは」とクールに言い放ちたいものです。
(夜だから「こんばんは」なんじゃないかとも思うのですが、なんかそれだと夜っぽすぎるので、「ハロー」的な感覚で「こんにちは」を言いがち。)


 とある架空のお店の話。

「おー! ケンジ! なんだよ久しぶりじゃねえか! ユミ元気? あーほんと! まじかー。まあ座れよ。いつもの? 相変わらずだなー。そーいやこないだルミ子のやつがさー」

 そのお店の店主は、ケンジが来るとこういう感じです。
 しかし僕が来店したときには、「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」みたいな感じです。

 店主は「お近くですか?」と僕にたずねます。
「ええ、駅は隣なんですけど」みたいなことを僕が返すと、

「だっからよー! 言ってんじゃんそれフジちゃんのだから。フジちゃんの面白いやつだから! ガハハ! 使用料払えよ、店に8割でフジちゃんに2割、って違うか〜〜!! あ、そうなんですね。じゃあ〇〇駅っすか」

 第4象限(xy座標の右下)に慣れすぎて、原点O付近との温度差がすごい例。


 行くのなら、原点を軸として、ピボットのように「フジちゃん」に行きたい。そして颯爽と帰ってきたい。
 フジちゃんを軸とすると、なんとか原点までは戻れても、他の象限まで足を伸ばすことは難しいと思う。
 最初の「こんにちは」から軸足を移さず、忍者のように、タモリさんのように遠くまで行ってまた戻ってきたい。


 幼なじみが来ても、タモリさんが来ても、まずは「こんにちは」くらいのもんで。そうでないと、それまでにお店にあった空気が一瞬にして「タモリさん一色」になってしまう。タモリさんならしょうがない、と思うかもしれませんが、タモリさんからしてみると、「自分が入った瞬間にその空間が自分の色に染まってしまう」というのをあんまり歓迎しないような気がします。「オレ様が来たのにオレ様の話をしないのか!」と思うような大物もいるのかもしれませんが、そういう人はたぶんちょっと僕は苦手です。
 また、実際のところタモリさんなら、まず一瞬でタモリさんとバレるような格好をしてこないような気もします。なりすましのプロなので。

 タモリさんでなくとも、「店主の古い知り合い」とかでも。その人が入ってきた瞬間に、場がその人に染まる。「おー! ケンジ!」と。それが良い場合もあれば、悪い場合もある。
 染まってしまったらもう取り返しがつきません。あとから染めることはいくらでもできます。だから最初は「こんにちは」。
 平熱からどこへでも。

 


【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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