29 喫茶店茶の湯論

 名古屋には「三英傑」という言葉がありまして、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をさします。みんな愛知出身なので、名古屋の人たちは誇りを持って彼らを讃えております。
 ただし、信長と秀吉は尾張(名古屋方面)出身であるものの、家康は三河(岡崎・豊橋方面)出身。名古屋ではないのです。三河の手柄を尾張が我もの顔で自慢する、みたいな横取り構図はよくあって、豊田とか岡崎の人は随分むかついているだろうと思われます。(名古屋城および城下町を作ったのは家康なので情状酌量の余地はあります。)

 信長と秀吉は茶の湯を愛好したといわれ、ともに千利休と深い交流がありました。(参考文献:山田芳裕『へうげもの』)

 当時の茶の湯は、どうやらサロンというか、「応接間」として使われていた側面が強かったようです。密室でリラックスして語り合えるのがよかったのだと思われます。

 僕の理解だと、このころの茶の湯の本質は「もてなし」であり「調和」。美的、芸術的な調和ももちろんですが、むしろ主人(茶をたてる側)と客(茶をいただく側)との精神的な調和。これを実現させるためのツールとして使われていたのがお茶であり、茶道具であり、茶室だったのだろうと。
 美や芸術を通して、人と人とが心を通わせる空間、時間。それが茶の湯なるものだったのだろうと勝手に想像しています。そこで何が語られていたにしても、その前提には「互いにリラックスして心を許す」場としての茶室が必要だったのではなかろうかと。

 時は流れ現代、「茶の湯」という文化はすっかりなくなったかに見えます。しかし僕にいわせれば、それは「喫茶店」という形で見事に残っています。

 その一つの論拠として、こちらの資料を挙げます。総務省統計局の資料です。
 これによると、平成26年(2014年)の段階で、「人口あたりの喫茶店数」が多い都道府県のランキングはこちら。

 1 高知
 2 岐阜
 3 愛知
 3 和歌山
 5 大阪
 6 兵庫

 1位が高知県なのは非常にイレギュラーというか、不思議な話で、なんでこんなことになっているのかは僕には独自の研究があります。「自由民権運動に象徴される歓談・密談の習慣が根強い(マジで言ってます)」「高知の女性は働き者と言われ、子育てを終えたのちに開業する傾向がある」などいくつかの理由を考えています。いずれにせよ特異点なので今回はこれ以上取り上げません。(興味のある方、ぜひお店で語り合いましょう!)

 他の岐阜、愛知、和歌山、大阪、兵庫には共通点があります。それは「秀吉か信長が城を構えていた土地」ということです。
 さらに、千利休の出身地は大阪府堺市。上記資料には「喫茶店のうち個人経営の割合」というのも算出されており、県庁所在地および政令指定都市のうちで、1位が和歌山市、2位が堺市です。(高知市、福井市、岐阜市と続きます。)チェーン店が少ないということでもあるのですが、個人が喫茶店を開きがちな土地、ということには変わりないと思います。
 また『へうげもの』の主人公、古田織部が岐阜(美濃)の人だということも注目しておきたいところ。

 すなわち言いたいのは、茶の湯を愛した秀吉、信長、そして利休や織部にゆかりの深い土地に喫茶店がたくさんあるというのは、茶の湯と喫茶店との精神的共通性の一つの証明ではなかろうか? と。

 ……んマァ、もちろんこんなことは僕の大好きなこじつけというやつにすぎません。でも、「こじつけでもつじつまがあえばそれにこしたことはない」という素敵な言葉もあります。否定されるまでは立派な仮説ということで。

 家康はどうなんだ、と言いますと、これも私見なので詳しい人ぜひ修正していただきたいですが、彼が愛したのは「お茶」であって「茶の湯」ではない、というのが僕の考えです。
 彼が晩年を過ごした静岡県は、喫茶店がかなり少ない土地です。「喫茶店に行ってコーヒーを飲む」なんてことはせず、「おうちとかどっかそのへんでお茶を飲む」という文化なのです。
 家康にとってたぶんお茶は「日常的に飲むもの」であって、茶室のような特別な場所に出向いて飲むようなものではない。そういう、いわば信長的な? 豪奢な? 感覚を、あまり好きではなかったんじゃないかなあ、と思います。

 家康の天下によって切り開かれた近現代の日本では、「お金を出してお茶を飲む」ということがあまりありません(ペットボトルとかは別ですが)。お茶というものは家康の目論み(?)通り、日常的なものとして普及しました。天国? 地獄? で彼も喜んでいることでしょう。(死人に口なし)
 しかし、お茶は死んでも(死んでません)茶の湯は死なず。「もてなし」と「調和」の文化は残りました。それが喫茶店なのです。お茶でお金を取ることはできないので、代わりにコーヒーを供しています。「お茶をたてる」ことと「コーヒーをいれる」というのは、儀礼として非常によく似ています。道具の重要さもそうですし。ドリップにせよサイフォンにせよ、手間をかけることが大事なのです。ところが西洋式の「カフェ」のなかには、エスプレッソマシンとかでボタン一つで出てくるものがあります。あれはあんまり、茶の湯ではありません。

 喫茶店とカフェの違いについてよく思うのが、「重心の位置」です。喫茶店では、置いてあるモノの重心が低く設定されています。簡単にいえば、椅子やテーブルが低いです。反対にカフェは高いはずです。地面に足がつかないスツールみたいなのがよく見られます。
 茶室はもちろん畳に直に座るものですから、重心は低くなります。それを踏襲して喫茶店もそうなっているのだと僕は思っています。日本の人がリラックスしやすい高さになっているわけです。
 また、カフェは外から中が見えるものが比較的多い(最近は透明なガラス張りのお店がとても多いですね)のに対して、古い喫茶店は外から中が見えないようになっていることがほとんどです。ところが、中からは外が見えたりもします。(よく観察すると、かなり多くのお店でそういう工夫が凝らされています。)これも茶室のようではありませんか。

 そしてリラックス。もてなし、ホスピタリティ、調和。美しい内装、食器、壁の絵画、音楽などなど。まるで茶室、茶道具、掛け軸、鳥の声です。

 夜学バーの魂は喫茶店にあり、その源流はたぶん茶の湯です。お店そのものの雰囲気や使っている道具、置いてあるモノ、お酒やコーヒーをつくる作法等々を介して(反射して)、その場にいる人たちが精神的交流をはかる。心を調和さす。そこに言葉はさほどに必要ないかもしれません。

 利休の言葉とされるもので、「一期一会」「一座建立」「和敬清寂」といったものがあります。夜学バーをやる上で僕が大切だと思っている心得を、500年くらい前に千利休という人はあらかた言ってしまっております。知れば知るほど「わかる〜」って思います。夜学バーは茶の湯。すなわち喫茶店。
(調べたら2022年はちょうど生誕500年だったみたい。おめでとうございます。)

 今のお店は居抜きというか、もともとスナックだった場所のようですが、もしこれから僕がイチからお店を作るのであれば、ひょっとしたらもっと喫茶店や、茶室に近づくような構造にするかもしれませんね。 




【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?