05 理性 VS アルコール


 お酒はどんどんオワコン(終わったコンテンツ)化しております。「飲む人」「飲まない人」が二極化し、飲む人の行くお店と、飲まない人の行くお店もなんとなく分かれつつあるような気がします。

 夜学バーは開店当初(2017年春)から、「飲む人と飲まない人の差をなくしたい」というのが願いです。それで木戸銭こと席料は共通して1000円(奨学生は500円、高校生以下等は無料)、ドリンクはできるだけ安価にしています。
 たくさんお酒を飲む人でもそれほど高くはならず、ソフトドリンク1杯しか飲まない人でも1500円程度にはなる設定。「あの人は5000円も払っているのに、わたしは500円しか払っていない」というちぐはぐさをできるだけ軽減したいわけです。「あの人は3000円で、わたしは1500円」くらいなら、それほど気になる差ではないはず。

 その甲斐あってか、お酒を飲まないお客さんがとても多いです。未成年もけっこう来ます。
 面白いのは、ふだんは飲まないけど今日は飲んじゃおう、とか、いつもは飲むけれども今日は飲まない、という場合がちらほらあることです。

 現代は飲酒も自己決定の時代。飲むか飲まないかを自分で判断します。むかしはたぶんそうでもなく、「飲むのが当たり前」という雰囲気の場面が今よりもずっと多かったはず。
 よって「なぜお酒を飲むのか」ということを考える機会も多いように思われます。

 夜学バーは「夜学」というくらいですから、学ぶ場です。「なんで学ぶ場にお酒があるの?」という疑問はごもっとも。

 学びは自由ですから、飲んでても飲んでなくても自由、というのが第一です。決して、「ちょっとアルコール入れたほうが肩の力が抜けていいんだよ!」的な考え方ではありません。
 アルコールが入ると、基本的には脳の機能が衰えます。理性の力も低下するのが普通。その状態で何を学ぶのか。

 あくまでもこれは僕の場合ですが、なぜお酒を飲むのか? という問いへの一つの答えは、「思考力や理性の低下を自覚し、そのうえで理性的に思考することを訓練するため」です。

「あの人はお酒をきれいに飲む」とか「きれいな飲み方」とかいう言葉があります。これは、お酒をある程度飲んでも、乱れたり、非礼な振る舞いをしたり、様子をおかしくさせたりしないということ。
 それは非常にクール。夜学バーでお酒を飲む人は、そうでなくてはなりません。思考力や理性の低下を自覚し、そのうえで理性的に思考する。そしてもちろん、理性的な行動をとる。
 そうでない場合は、僕はそのお客さんのことを叱りますし、僕がそうなってしまったら、お客さんから叱られなければなりません。現実的にはお客さんの立場で店主を叱るのは大変でしょうから、店主はしっかりと気をつけなければなりません。ものすごいプレッシャーのもと、僕もちょくちょくカウンター内でお酒を飲みます。
 アルコールによって脳の活動にある程度の制限を受けながらも、理性的に思考し、行動し、同時にお客さんが理性的に思考し、行動しているかどうかを確かめる。そうでないと思ったら叱る。その際、「あんただって酔っ払ってるじゃないか!」と言われても仕方ないような状態であっては絶対にいけないので、何があっても僕は理性を失ってはなりません。大変です。

 なぜ、わざわざアルコールで理性を制限させてまで、「思考力や理性の低下を自覚し、そのうえで理性的に思考することを訓練する」のか。「そりゃ結局あんた、酒が飲みたいってだけなんでしょ」と言われたらそれまでですが、一応言い訳のような理屈はあります。
 アルコールを飲まなければ、思考力や理性は低下しないのだから、初めから飲まなければいいのでは? というご意見は非常に真っ当なもの。しかし、人間というのは、アルコールによらなくても思考力や理性が低下するタイミングがあります。

 疲れていたり、バイオリズムが狂っていたり、嫌なことがあってストレスが溜まっていたり、ショックで頭がバグったり。さまざまな状況が、我々から思考力や理性を奪います。その状態がアルコール摂取時の状態とどこまで似ているかはさておき、飲酒は一種の「思考の練習」というふうに僕は、個人的には利用しているところがあります。
 脳の機能が低下している時(これは泥酔とか酩酊ではなく、ほろ酔いくらいのイメージで考えてくださいませ)には、100%のパフォーマンスは出せません。CPU使用率(?)が70%とか50%までしか上がらないとき、自分はどのように頭を使って思考したら良いのだろうか? と。その訓練は生活にけっこう役立っている、と僕自身は実感しています。

 僕はある程度お酒を飲むと、やはり口数が多くなったり、話すのが速くなったり、滑舌が悪くなったり、少し間の悪い発言をしてしまったりします。それをまずは自覚する。そして修正する。低下した機能をフルに活用して、衰えた部分のカバー、フォローに充てる。そういう練習。夜学バーに慣れていらっしゃるお客さんたちは、たぶん意識的にも無意識にも、そういうことをしているんじゃないかと僕は思っています。

 酒に酔って、乱れる人は嫌です。多くの人はそう思っています。とりわけ、お酒を飲まない人の多く訪れる夜学バーのような場所では、「きれいに飲むこと」が絶対に求められます。
 本当は脳の機能が低下しているのに、それをできるだけおくびにも出さず、クールに振る舞う。ちょっとくらいはバレてるかもしれませんが、それすらも気にしないで、平静を装う。それは礼儀であり、また「カッコつける」ということだと思っています。

 現代は「カッコつける」ということの価値があまり重んじられていない気がします。もちろん自然体でいることは最高に良いことなのですが、ただ「自然」というだけでは何も考えていないことと区別がつかず、「わがまま」とか「自分勝手」にもつながりかねません。「カッコつける」というのは時に礼儀でもあるのだと思います。

 むかし、スターが映画の中でウィスキーなんか飲んでるのを「カッコいい」と多くの人が思ったはずです。それはなぜかというと、そのスターがお酒に溺れず、理性的にカッコつけて飲んでいたからだと思います。

 お酒を飲みながら、頭の中ではぐんぐん学びが進行している。カッコつけ、礼儀を持ち、空間を乱さず、なじむ。もちろんお酒を飲んでいなくても。それを当たり前とするバーでありたいです。



【定型文】
 2022年6月のみ更新されるnoteです。毎日17時に投稿され、一定時間経過後にTwitterで告知されます。(企画詳細
 この1ヶ月はお店の営業がほぼありませんが、僕(店主尾崎)以外の人が何かをやっていることもあるので、ぜひホームページ等をご確認ください。僕もいるかもしれません。
「ぐうたらする」ゆえ今月は6桁の赤字が見込まれております。よろしければ存在への対価というおねだりページをご覧くださいませ。あるいはなんらかの方法で。

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