ある「ギフテッド」当事者の半生(6) どうしてこうなった

閑話休題、私の家族の話をしたい。
私は横浜の片田舎に住んでいるが、ここは父も、父方の祖父も、その前もずっと住み続けているという古い家である。パスポートを申請するときに戸籍謄本を取ったわけだが、明治戸籍以前よりどうやら住み続けているらしい。言い伝えによると元禄年間に今の場所へ定住したという。
父方の祖父は1928年生まれ。4男7女の4男なので、兄3人は皆太平洋戦争に従軍したらしい。私からみた曽祖父は日露戦争に従軍したと聞いた。

祖父は終戦時17歳だったが、農家の4男ということもあり高等小学校しか出ていない。だがとてもチャレンジ精神を持った人で、戦後横浜船渠(今のランドマークタワー付近にあった造船所)で働きながら溶接技術を学び、まだGHQ下の日本政府であった1948年に自動車の免許を取った(免許証を見せてもらったが、とにかく運転出来る車両の種類が多かった)。
やがて祖父は小さな町工場を設立することになる。

そして祖母。4人いる祖父母の中で唯一健在である。逗子で1934年に生まれ、現在はスマートフォンを使いこなす「コンピューターおばあちゃん」である。
 そんな祖母だが、幼少期に妹と母を2ヶ月違いで亡くし、戦時中は静岡県の森に縁故疎開していたと言う経歴を持つ。学童疎開と違い辛い思い出はあまりないそうだが、かつて横須賀に海軍の港(今も自衛隊が使用している)が存在するため、終戦後11月まで帰って来れなかったという。その時大船駅で横須賀線に乗り換えるのだが、あまりの混雑に窓から引っ張って降ろしてもらったことが忘れられないそうだ。
戦後は洋裁学校に通い、1956年に祖父と結婚。以降、祖父が経営する町工場で経理を主にやっていた。私が子供の頃は「こっちの方がわかりやすい」とそろばんを使っており、電卓を使い始めたのは70歳を過ぎてからだったと記憶している。
弟が一人いたが、60手前で病死。

そしてその長男で、私の父。1958年に生まれ、極々平凡な人だ。
普段は物静かな性格だが、怒ると怖い–。そんな性格。大変な読書好きである。
バブル以前にアルバイトで入った会社にそのまま正規採用され、バブル期には会社の2番目の地位に居たらしい。しかしバブル崩壊後しばらくして、90年代後半になると会社は低迷。最終的に、小売業の会社を起こすことになる。
チャレンジャー精神は祖父譲りのようだ。


母方の祖父は1925年生まれで、農家の次男であった。当時の新潟の農家としては珍しく、旧制中学へ行っていたらしい。らしいというのは、昔発行元の所在地が「東京府」になっている英和辞典を借りたことがあるからだ。
家族に対しても戦時中の話は一切しなかったそうで、叔母(母の姉)は「全く知らない、本人が話してるのを聞いたことがない」と言っていた。
 昔何かの機会で私が聞いたのは、陸軍に徴兵されたものの実際に戦地へ赴くことはなく終戦を迎えたということだけ。あとは、仲間達で寄せ書きをしてある古びた日の丸の国旗を見せられたこと。それだけだ。
よほど戦争や軍に対して苦い思い出があったのだろう。
戦後復員後、運輸省から日本国有鉄道へ。と言っても駅員や運転士ではなく、車両や機械の設計者だった。国鉄民営化に伴う早期退職に応募し、民間へ転出。70歳まで働いていた。
鉄道だけでなく船や飛行機も好きで、メルクリンの鉄道模型やエンジン付きのラジコン飛行機まで作っていた。

母方の祖母。1928年生まれ。去年鬼籍入りしてしまったが、かつては中学校の数学科を担当する教師だった。
私がよく覚えているのは、新潟の家にいるときによく列車に一緒に乗りに行った事(祖父はその当時まだ働いていたので)、中学の頃は数学を教えてもらっていたこと。喘息の持病があり、発作が起きると本当に苦しそうだった祖母の顔が今でも忘れられない。

そしてその家の3人きょうだいの末っ子の母。
新潟県に3人きょうだいの末っ子として1960年に生まれる。兄と姉が一人ずつおり、前にも出てきた「Macを買ってくれたおじさん」は母の兄だ。母の姉は祖母と同じ数学科の教師でもある。

母は群馬県の短大を出たあと、鎌倉で幼稚園教諭をやっていた。結婚と共に専業主婦になるが、妹が生まれてしばらくした後、幼児教育の現場に戻る。
ちなみに私と母は非常に関係が良好で、私の良き理解者であったし、学校を休んだ時に二人で料理を食べに行ったりしていた。
 – 過去形なのは、既に故人だからである。

また私には弟と妹がいる。
5歳下と6歳下だ。私は年齢が離れてる分、あまり弟と妹とは連絡を取ることはないのだが、別に仲が悪いわけではない。
弟は運動神経がとても良く、かつてテニスの大会で優勝し、特別待遇で日本国内の高校へ留学していた。だが地方での生活で色んなことがあったらしく、こちらへ戻ってきて、今は普通の会社員をしている。
妹は本当に「普通」である(いい意味で)。トヨタの「80点プラスアルファ主義」ではないが、本当に平々凡々な人間だと思う。


私は自己紹介をする時、「父からは学ぶことの素晴らしさを、母からは人を愛する素晴らしさを学びました」という。
まあ、日本でそれを言うと変な顔をされるので、英語でしか言わないが…。

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