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80年分のありがとう

令和六年 四月十九日の朝、
父は80年と半年の人生を終えて、天に旅立ちました。

一昨日、葬儀を終えて、
今は骨だけになってしまった父を前に、
父が生きていた頃とはまた違う感情が溢れてくるのを、静かに感じています。

父の中陰檀

従兄弟、甥や姪、叔父、叔母、実家のご近所の方々とも
お久しぶりに会えるのが、こんな時ばっかりで、
何だかちょっと複雑な思いではありますが
それぞれの近況などもお話しながら、
父との思い出話で笑ったり涙したり、、
改めて、わたしと父は親子ではあるけど、
父の80年の歴史の中で、一緒に暮らしたのは20年ほどなんだなと

知らないことの方が多いことを、思い知らされたりしております。

長い付き合いのご近所の方々は、皆さん心底悲しんでくれていて
改めて、父がこの地域に深く根差し、近隣の皆さんに愛されていたことを感じ
その80年の歴史に感謝と敬意を感じています。

遺体の清めの儀式である
湯灌の間は、
そうなるのがごく自然な流れの様に
シンギング・リンを奏でさせていただき、
同席していた親族の方々からも
「あのなんとも言えない音色に心が癒されたよ。」と言ってもらえたこと、
この数週間、病院に毎日通った父との最後の時間が、
この音色と共にあったことで、
お互いの心や空間に多くの浄化が起きたような氣がします。

まだまだ、言葉にならない想いもありますが、、

福井に帰ってきた三月末には
蕾だった桜が
満開になって、
その後散って、
今、山々は新緑の美しい黄緑色になりました。

父の容態が少し落ち着きを見せた数日間
三泊四日で石垣に戻って、またすぐに
福井に帰って来てから、数日間顔を合わせられたこと
全てが大いなる流れと共にあった氣がします。

まだもう少し、こちら福井に居ながら
少しずつ言葉を綴りたいと思います。


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