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命という宝物

何から書いたらいいのか、想い溢れて、飽和して
とりあえず眠る。という日々が続いていたので
ここら辺から言語化していきたいと思い、パソコンを開けています。

入院中の父の病院に毎日通いつつ、
ほとんど話せなくなった父と、アイコンタクトで意思の疎通をしながら思う
お互いが、苦しくなくて、
悔いの残らない終末医療。

とか、言葉で言うのは簡単ですが
その判断はいつも正解がなく、毎日毎日、揺れる氣持ちです。

さて、そんな中、
今日は台湾の大地震があり、わたしの住む石垣島は
大津波警報が発令。

各地から「高台に逃げて!」とメッセージをいただく中
石垣に居ない私は午前中、「きっと大丈夫!」と暗示に近い祈りのもと
シンギング・リンの個人セッションのお仕事をさせていただき
その後、お昼前にニュースを見たのでした。

大津波警報は注意報になり、その後それも解除され
ホッとしたものの、
台湾の様子をニュースで見ると
その地震の規模の大きさに冷や汗でした。

被災された方々のご無事をお祈りします。

命について、、、

美しい風景や
豊かな自然環境
そこに住まう、美しい仲間たち

それは自分が「所有」しているものではない。
人間が決めた境界線みたいなものがあったとしても、
本当は誰のものでもない。
何にも変えられないこの世界の宝物だと感じる。

「愛」とかって
そういう感覚って思うのです。

そしてそれがある日突然、
目の前から消えてしまうこともあるってこと。

今日はそれをリアルに感じてしまい
久々に胸のざわつきが止まらなくなり

そんな、胸の強張りから、
また体がひねくれそうな気配を感じたので、
お友達のセラピスト、のぞみ治療院の敦子さんを頼り
身体調整していただきました。(敦子さんありがとう〜🙏❣️)

ざわつきの正体は
「わたしは、自分の愛するもの全てを失っても
絶望することなく
その記憶を「愛」として持ち続けることができるだろうか?」
という、無意識レベルでの不安。

よしよし、その答えを出してあげよう。
と自分の斜め上に勝手に配置させてもらっている
弥勒菩薩さんに聞いてみる(笑)

画像を合成して作った「瑠璃リン菩薩」(笑)



「時間は、、かかるかもしれない。
けれど、立ち直れないことは起こらないよ。」と微笑んでおられました。

確かにね〜。

もしくは、「超えるために起こる。」とも言える。

だから、結果はいつも「大丈夫。」

その為にど真ん中である「零地点」に自分をチューニングしていくこと

「統合」の作業はまだまだ続きます。








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