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第36章 雪中送炭の恩人 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第36章です。

※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。

 5番目の子ども、三男の光義が小学校を卒業する頃、住んでいた地域では中学校への進学率が低下しており、子どもを進学させたい親たちはよその私立中学を探していました。ただ、学費がとても高いのです。

 三男と、彼が仲の良いクラスメイトの崔樂忠くんは担任の先生に言われて、進学について両親と話し合うことにしました。崔くんの家族と我が家は良き隣人でしたから、この重要な議題に対して皆でじっくり相談しました。

 子どもたちはまだ小さく、遠い学校に行くためには寮が必要です。

 後に、教会の宣教師である莊明揚さんのアドバイスで、蘆洲にある徐匯中学を受験してみることになりました。結果、2人の子どもは無事に合格し、親や担任の先生も皆喜んだものです。

 崔くんは次男で学費面に苦慮することはありませんでしたが、我が家の光義は5人目の子どもで、2人の兄と2人の姉は、全員まだ学校に通っていました。さらに三男が私立に行くとなると、一学期目にまず5千元を用意しなければならず、私と夫はこのお金の工面に頭を悩ませました。どうしたらいいのか分からずにいたその時、突然、頼れる人の存在を思い出したのです。

 その人とは南部で暮らす楊さんで、兵役時代に夫の部署に異動してきて、三年ほど夫の下で働いていました。

 楊さんの兵役が終わる数ヶ月前、家で急な事情が発生し、楊さんは父親から早めに帰るよう呼びつけられました。彼は休みの日までにまだ一回夜勤のシフトが残っていましたが、事態は急を要するため、すぐに帰って処理しなければなりません。観測長に休暇願を出すのも間に合わず、チームリーダーである夫に休暇願を出し、夫に誰かに夜勤を交代してもらうようにお願いしました。

 夫は楊さんに「安心して帰りなさい。あなたのシフトは私が代わりましょう」と声をかけました。楊さんは何度もお礼を言いながら公路局の車に乗り、南部まで帰って行きました。

 しかし、思いもよらないことに、これまで夜勤のチェックなど来たことがなかった張中校が突然仕事場に現れたかと思うと、「楊さんはなぜいない。どこへ行った?」と聞いてきました。

 夫がすぐに「観測長にご報告します。楊はトイレに行きました」と答えると、「唐リーダー。君のような正直な人間がなぜ嘘をつく? 楊さんは南部へ帰ったのだと分かっている。君は彼を庇っているね。もし仕事中に問題が起こったら、チームリーダーが責任を追わねばならないと知っているのか?」と厳しく咎めました。

 夫は「楊は家で急な事情があったのですが、夜勤が一回だけ入っているので、私が彼の代わりをすると申し出たのです。何かあった場合は、私を処罰してください」と事情を説明しました。観測長はそれを聞くと、黙って去って行きました。

 その場にいたメンバーは、唐リーダーが楊さんのために上司に叱られたことに苛立ち、休暇から戻った楊さんに向けて「あなたのために唐リーダーが辛い思いをした」と告げたメンバーまでいたのだそうです。

 それを聞いた楊さんが夫のところに飛んで来たので、夫は「そんな大したことじゃないよ。もう終わったことだから気にしないで」と伝えたのだそうです。それから程なくして、楊さんは兵役を終え、故郷に戻りました。後に、楊さんは通関業者としていい成績を収めていると聞きました。

 兵役した三、四年後の夏休み、楊さんは車で台北まで出張に来たついでに、我が家に寄って夫を訪ねてきてくれました。

 皆が再会を心から喜び、日々の暮らしや、兵役時代のあれこれに話を咲かせました。

 彼は今の事業がそれなりに成功を収めていると言いながら、夫の肩に手をかけ、キッチンの方へと連れ立って行きました。二人が話す間、私はリビングで数分待っていました。ほどなくしてリビングに戻った楊さんは、「表で彼女が待っているので帰りますね。また会いにきます。さようなら!」と言い残して去って行きました。

 楊さんが帰った後、キッチンで何を話していたのかと聞くと、夫は「楊さんは我が家の子どもたちは今が最もお金がかかる時期だと知って、助けたいと言ってくれた。帰ったらお金を送るから、どのくらい必要かを聞かれた。僕は気持ちはとても嬉しいけれど、今のところなんとかやっていけるから、もうどうにもならない時が来たら、必ず助けを求めると伝えたよ」と教えてくれました。楊さんは兵役を引退して何年も経った今でも、たった一度、夫に助けてもらったことを心に留めていてくれたのです。

 その後も楊さんは毎年夏休みになると我が家へ夫を訪ねてきては、お金の援助は必要ないかと心配してくれました。三年ほど経って、三男が徐匯中学に進学するタイミングで、私たちはお金を工面することができず、とうとう5千元を借りたいと願い出ました。彼は快く小切手を送ってきてくれました。私たちは、娘が看護学校を卒業して働き始めたらお金を返すと約束しました。

 楊さんのおかげで、三男は徐匯中学で学び始めることができました。
 それから二年後、私たちは5千元を返す準備が整い、メモしておいた住所に送りましたが、宛先不明で返ってきてしまいました。

 それ以来、楊さんが私たちの家に来ることはありませんでした。兵役時代の友人たちに電話をして聞いても、彼の行方を知っている人はいません。彼に神のご加護がありますように、生涯無事でありますように。事業の成功をお祈りしています。

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