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第25章 布団と餃子 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第25章です。

※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。

 民国48年から50年までの期間、銘德⼀村に新婚夫婦が増えて家が足りなくなったので、部隊は眷村の左側に10戸を増設しました。

 どの新婚夫婦も子どもを3、4人設けたので、眷村には一番多い時に子どもたちだけで100人ほどおり、非常に賑やかでした。

 話を戻すと、私たちが銘德⼀村に引っ越した翌年、端午節の一週間後に4人目の子どもを産みました。男の子です。きょうだいたちは弟を抱きしめました。

 3人目の子どもが生まれてすぐに4人目が生まれて、その差はわずか一歳半でした。私はますます忙しくなり、やってもやっても用事が終わりません。

 ありがたいことに、7歳で小学一年生の長男がたくさん手伝ってくれました。長男は抱っこ紐で妹を背負って外へ行き、同年代の子供たちがメンコや醤油の蓋で遊ぶのを見ていました。彼は妹を背負っているので、皆が遊んでいるそばに立ち、他の人が遊ぶのを見ることしかできずにいました。

 私は長男が皆と同じ遊びができないのを見て悲しくなりましたが、兄である以上、多少我慢しなければならないのだからと自分に言い聞かせました。

次男を抱く長男。


 海辺の冬は非常に寒く、寒波が来ると、家の布団では足りなくなってしまいました。熱心な山東出身の李ママは、収入が少ない我が家に子どもが続けて生まれたことを知り、生活費が足りているかと気にかけてくれました。

 私が4人目の子どもを産んだ年の冬、李ママは家へやって来て、私に綿の使い方を教え、3人目と4人目に着させる綿入りの上着やズボンの作り方を教えてくれました。

 彼女は我が家の薄い布団を見ると、「こんなに寒いんだから、もう一枚布団を買いなさいよ。子どもたちが寒がるでしょう」と言いました。彼女の言う通りなのですが、布団は一枚6斤あり、210元もするのです。夫の月給の三分の一ほどに相当するので、どう頑張っても無理でした。

 それを聞いた彼女は、「安心して、私が方法を考える」と言い残し、家に帰って行きました。

 それから3日後のことです。管制官の駱さんが家に来て、とても礼儀正しく私とおしゃべりをしながら、ゆっくりと話題を金銭面へと移し、とても丁寧に「李ママから、あなたは今布団を一枚買う必要があるのに、申し訳ないからとお金を借りようとしないとお聞きしました。私たちは7人の人を集め、あなたがリーダーになって、一人30元、7人で210元を集めて布団を買います。その後毎月抽選をし、当選した人のところにお金を返します。利息は無し。それならいいですか?」と提案してくれました。

 私は感動して、ただただうなづき、彼のお手伝いに感謝するのみでした。

 その後も駱さんは飛行員仲間のズボンの修繕を私に頼んで収入を得られるようにしてくれたりと、金銭についていつも私たちを助けてくれました。

 山東の李ママはとても親切で、私を自分の姪のように可愛がってくれました。時間があれば、手伝うことはないかと家へ来てくれました。

 子どもはどんどん大きくなり、体力も増え、食事の量も増え、毎日3食用意するには知恵を絞らなければなりません。

 当時、教会経由でアメリカから救援物資の小麦粉がたくさん提供されましたが、本省人の私は小麦粉料理になじみがありませんでした。

 李ママはとても忍耐強く、毎日時間を作っては私に「猫耳(訳注:小麦粉生地を猫の耳のように小さく丸めたもの)」、餃子、麺、ニラまんじゅう、「麵疙瘩(訳注:すいとんのような太い麺)」、中華まんなどのさまざまな小麦粉料理を教えてくれました。

 小麦粉から生地を作り、餃子の皮を作って具材を包むところまで、李ママは少しずつゆっくり私に見せてくれました。私が完全に覚えるまで、私ができないことは手伝ってくれました。

 私に小麦粉料理を教える期間、李ママは自分の家と我が家を行ったり来たりしなければなりませんでした。彼女も自分の家の食事を用意しなければならなかったからです。彼女は24番で、私は29番でした。

 彼女が行ったり来たりする姿を見て、私は本当に申し訳なかったです。
 けれど、餃子を包む時、私は彼女の助けが必要でした。家の子どもたちは食欲がどんどん増していて、一度に100個は包まなければなりません。李ママの助けがなければ、半日あっても作り終わらず、子どもたちの食事に間に合わなかったでしょう。

 このようにして、毎週土日に子どもたちが家にいる時は私が小麦粉料理を作り、子どもたちは大喜びで李ママに感謝したのでした。

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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
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