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第32章 忘れがたい子どもの日 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第32章です。

※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。

兄弟三人で郊外に出かけました。

 5人目の三男、光義が小学校に通う間の数年、私たち夫婦は長男長女を台北の学校に行かせるため、とにかく学費を稼ぐために四苦八苦していました。

 三男は小さくてもとても物分かりの良い子で、2歳半年上の次男・光德によくなつき、私の手を煩わせることはほとんどありませんでした。

 私は昼間は幼稚園で働き、夜は服のお直しの仕事をしていたので、いつもだいたい夜中の11、12時頃まで働いていました。

 子どもたちはそんな私を見て、邪魔しないように気遣ってくれていたのだと思います。私は子どもたちを連れて遊びに出かけたりもしておらず、自分が母親らしいことをしていないことを恥ずかしく思っていました。

 一般的な家庭だと末っ子は寵愛される存在ですが、我が家は5人の子どもの将来のためとはいえ、末っ子にだけ我慢を強いることになってしまいました。

 4人目の次男、光德が小学6年生で、最後の子どもの日を迎えようとしていた頃、私は突然「次男と三男にいつもと違う子どもの日を過ごさせてあげたい」と思いつきました。

 当時、長男の光華はもう大学1年生で、彼が休暇で戻って来た際に相談を持ちかけました。「次に戻って来る時に、弟たち二人を台北の遊園地と動物園に連れて行ってくれない? 次男は来年から中学生になるから、今年が彼にとって最後の子どもの日だからね。どうかな、時間は取れそう?」

 長男は母の考えに賛成してくれましたが、弟たちは遠出した経験がありません。そこで私たちはしっかり予定を立てました。次の日曜日、長男が政治大学を出発し、バスで2時間ほどかけて淡水駅へ着いたところで弟たちを待ちます。一方、私は次男と三男を老梅駅まで送り届け、淡水駅行きのバスに乗せ、長男と落ち合わせるという計画です。

 約束の日、私は苦労して貯めた100元を次男に渡し、「お兄ちゃんに会ったらこの100元を渡して、遊びに連れて行ってもらってね」と言いました。二人の子どもたちはバスに乗り込み、次男は「ママ、また夜にね」「お母さん、心配しないで。僕たちはちゃんと気を付けるし、無事に帰って来るからね」と言いました。こうして、6年生の兄が3年生の弟を連れて出発したのです。

 彼らが嬉しそうに出発するのを見届けると、私の母親としての心も彼らと一緒に旅立ってしまったような気持ちになりました。夜になって2人の子どもたちが無事に帰って来るまで、その日は一日中落ち着かずに過ごしました。

 帰宅するなり、次男は嬉しそうに報告してくれました。

「お兄ちゃんは僕たちを動物園に連れて行ってくれて、一日中遊んでくれたよ! 遊園地にはおもちゃもあって、お兄ちゃんが遊ばせてくれた」

「お兄ちゃんはクラスメイトからカメラを借りて、僕たちの写真をたくさん撮ってくれたんだよ。次、家に帰って来る時、写真を持ってきてくれるって。それとね、お兄ちゃんが僕たちをバス停まで送ってくれた時、老梅駅で降りるように、寝過ごさないようにって注意してくれたんだよ。

 僕も弟もたくさん遊んで疲れていたから、バスに揺られていると眠くなったんだけど、二人で相談して、順番に寝ることにしたんだ。そうすれば起きている方がバス停の看板に気を付けることができるから。

 弟が先に寝て、僕は淡水あたりから渡った橋の数を数えていたんだ。橋の柱には番号が付いていて、朝バスに乗った時に見た銘德⼀村の前の橋は22番だったのを覚えていたから、帰り道は橋の数を数えれば、家に近付いてるって分かったんだ。僕も眠くなったけど、乗り過ごすのが怖くて飛び起きながら帰ってきたよ」

 そのようにして次男は三男と2人で、長男とどのように楽しく遊んだのかを話し始めました。きょうだいが楽しそうに話をするのを聴き、私はとても安心しました。長男は、小さい弟たちの面倒を見られない母の後悔の埋め合わせをしながら、母の願いを叶えてくれたのです。

 次男と三男が遠出をするのは初めてのことでしたが、無事に帰って来ることができたことを、神のご加護に心から感謝しています。

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