第16章 台南から澎湖への転居 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
※作中、流産についての描写があります。
台南の大同新村で暮らし、息子が一歳二ヶ月になった頃、私は再び妊娠しました。
妊娠三ヶ月目の頃、うっかり風邪を引いてしまったので病院に薬をもらいに行ったのですが、妊娠していることを医師に伝えるべきだということを知らず、二日分の薬を処方してもらってしまいました。
薬を飲み始めて二日目の朝早く、子どもと水汲みから帰り、朝食の支度をしようとしたところで、お腹がどんどん痛くなり始めました。我慢しながらお粥を作り、息子に食べさせましたが、その時にはもう耐えられなくなっていました。
当時、外は雨が降っていて、ご近所さんを驚かせたくなかったので、自分で玄関の戸締りをして、カーテンを下ろしました。激しい痛みが訪れた後、私は急いでお盆を持ってきて、流産した胎児の体を受け止めました。とても怖く、悲しくてたまりませんでした。
なんとか身の回りの片付けをして、息子におもちゃを渡して遊ばせてから、悲しみに暮れてベッドに伏せました。
朝9時過ぎになると、雨が次第に強くなってきて、家の中まで水が入ってきたので、息子は水で遊んでいました。右隣の劉さんの奥さんが家の中に入ってきた水を片付けている時に息子が水で遊んでいて、私がベッドに横たわっているのを見てとても驚き、「どうしたの? 何かあった?」と聞きました。
強くあろうとしていた私でしたが、とうとう涙が溢れてきて、「流産してしまったの」と伝えました。彼女は「そんな大事、どうして呼んでくれなかったの!」ととても驚いたので、左隣の呂さんの奥さんも飛んできました。
呂さんの奥さんは東北野戦病院の看護師をしていたので、とても経験があり、私のベッドの下にあるものを見て、流産した胎児だと見てとると、「急いで病院に行って検査しないと危険だよ」と言いました。ただ、私は息子の面倒を見てくれる人がいないのが気がかりでした。
切羽詰まっていると、文蘭姉さんが知らせを聞きつけて駆けつけてくれました。何も言わずベッドの下のものを片付け、息子の洋服をバッグに入れると、「安心して入院しておいで。子どものことは私が世話するから」と言ってくれたので、私はとても感激しました。
夫がそばにいなくても、良いご近所さんたちが助けてくれます。
誰かが部隊のトラックを借りてきて台南の空軍病院まで送り届けてくれて、私は一週間入院しました。
夫は屏東で知らせを受け、休暇の手続きをして家に帰り、そこから病院に見舞いに来てくれました。ただその時点で私はあと二日で退院でした。
夫は多くても五日間しか休暇が取れず、往復の移動で二日間を要し、実際に家に滞在できる時間は三日間しかありません。夫はとても心配になり、私たち母子と一緒に暮らすことを望み始めました。
後に夫は上司から「家族と一緒に暮らしたいのなら、唯一の方法は離島へ異動願いを出すことだ」とアドバイスを受けました。
民国40年代、澎湖は離島の一つでした。
当時、高山計画もひと段落し、中隊が一つひとつ設立され、夫の仕事も正常に戻っていましたので、澎湖への異動願いを出すことができました。
異動願いが承認されたのは、それから半年後のことでした。この期間に私は身体を休め、セーター編みの仕事でお金を稼いで息子の2歳の誕生日プレゼントに革靴を買いました。
澎湖の馬公へ異動するよう文書が来たのは、民国42年の1月のことでした。私たちはお向かいの王さん一家4人と一緒に、高雄から馬公への連絡船に乗り込みました。王さんの奥さんは妊娠七ヶ月でした。
当時、澎湖から台湾本島へは民間向けの飛行機が飛んでおらず、交通手段は定期船しかありませんでした。定期船は毎週月・水・金の週3回しか運行せず、土日も運休なので、とても不便でした。
私たちは午後ずっと船が来るのを待ち、港で簡単に食事を済ませました。5時前になると乗客たちが次第に到着し始め、6時には時間通りに船が出発しました。
船は小さく、乗組員と乗客でおよそ100人ほどです。船内には畳があるだけでした。畳は船底の両側に敷かれていて、その真ん中は通り道になっています。乗客たちは皆畳の上に寝転がっていました。
船がとても揺れて、船酔いした人々が通り道に吐くので、その嘔吐物の匂いに船酔いしていない人まで吐いてしまうほどでした。
乗客の中で最も勇敢だったのは、王さんと2歳になったばかりの息子です。二人は吐かなかったばかりか、甲板まで行って風に当たりながら海を見ていました。本当にすごかったです。
一晩中格闘した後、澎湖の馬公港に到着したのは朝6時のことでした。
船を降りて新鮮な空気を吸うと、たくさんの感情が湧いてきます。澎湖へ来て、私たち一家3人はやっと一緒に暮らすことができるようになったのです。
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