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「としまえん」もう一つの顔

としまえん閉園のニュースが流れた。93年もの歴史を閉じたという。関西育ちの私には、としまえんに家族連れで行った体験はない。しかし、としまえんには遊園地以外に、もう一つの顔がある。としまえんには3つのグラウンドがあった。それぞれが大きなグラウンドである。そこで企業や健保組合が、家族を招いて運動会を開催していた。
 新入社員で入社した会社が、としまえんで運動会を実施していた。毎年11月3日の文化の日に、としまえんで運動会が全社挙げて開催された。毎年この日は必ず快晴となる。元々職場は出版取次であるが、約3,000人の社員を、事業所や部単位で7軍に分ける。リレーや綱引きなどの競技はもちろん、応援合戦や看板作りでも競う。生半可な力の入れようではない。各軍ではチーフマネージャーと応援団長が選出され、幹部と営繕班は開催の1ヶ月から2ヶ月前、業務は免除される。そのかわり準備期間の運動会専従は、血尿が出る者もいるほど過酷な従軍体制となる。リレーでは従業員に予選があり、タイムトライアルで厳しく選考が行われる。綱引きは、プラッターと呼ばれるフォークリフトのような搬送車両と人間チームで練習。看板は5m四方くらいのビジュアルな制作物。プロ級の日本画家もいて、ねぶた祭の勇壮な絵など描かれた絵もハイレベルだった。応援合戦では、仮装しての踊りや練り物入りのアトラクションが入念に準備される。もちろん事前練習は毎晩遅くまでミッチリやる。現場チームには、アトラクションとして、高さ5m、長さ30mもの手作りの海賊船を練り出す演出もあった。新婚当時の連れ合いは、会場でそれを観て「貴方の会社って、どうかしているんじゃない?」と呆れていた。
 毎晩遅くまでの練習や準備で、特に負担が大きい若手社員たちは「なんで私たちがこんなこと毎晩やっていなきゃいけないの?」と、会社への不平不満が続出する。そういうことをお互いに言い合って、毎晩一緒にいると、若い男女なので多くのカップルも出来る。共通の不満は、共有できる話題でもある。上司たちは毎晩差し入れしてくれる。打ち上げは盛大に行われる。勝負にこだわるので、負けるとチームマネージャーや応援団長は坊主頭に丸刈りだ。「イベントの多い組織は活性化する」は、亡き上司の教え。この時代に、まさにそれを具現化していたのが、としまえんでの運動会だった。入社して10年後くらいに運動会は2年に一度になり、やがて開催されなくなった。運動会や社員旅行などという、プライベートタイムを巻き込んだ社内イベントが、世の中に受け入れられなくなってきたからである。それでもとしまえん閉園のニュースを聞くと、われわれ世代は運動会を、楽しかった懐かしい記憶として思い出すのである。

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