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主の荒野の試練に学ぶ

尾久キリスト教会🛕における10/31の高橋武夫先生による説教は、マタイ伝第4賞1〜12節「主の荒野の試練に学ぶ」。これは悪魔がイエスを試す3つの罠を描いた箇所で、ルカ伝とマルコ伝にも同じシーンが登場する。第一に石をパンに変えられるかと、第二に高い所から飛び降りても無事なはずと、第三に見晴らす下界の栄華を掌中に手に入れるかと、悪魔は問う。神学者ウィリアム・サンデーの言うところの、能力者への試練である。改革者マルチン・ルターにも同じような試練があったそうで、彼の部屋の壁には誘惑する悪魔退散を願ってインク瓶を投げつけた跡が残っている。
 安土桃山時代に策伝和尚が編んだ「醒睡笑」に「ひもじさと、寒さと恋を、比ぶれば、恥ずかしながら、ひもじさが先(ひだるさと寒さと恋とくらぶれば恥かしながらひだるさぞます)」いう狂歌がある。飢餓は最も辛いものである。列王記第62章9節には、兵糧攻めに遭った街の女が我が子の亡骸を煮て食べたシーンがある。フィリピン・ルバング島で29年振りから帰還した小野田寛郎少尉は、空腹時には蛇でも蛙でも何でも捕まえて食べたと言う。東京国際フォーラムで開かれた「聖書フォーラム」には、悪魔がイエスを試みたとされる上空から地上の石が散在している写真が掲示されていた。その丸い石を見ると、たしかにパンのように見える。
 この日は衆議院議員の総選挙の日。キリスト者として大切にしなければならないのは世界平和への視点。「核の傘、出るに出られぬ、被爆国」とならないようにせねばならない。キリストは使徒ペテロに「剣を取る者は剣で滅ぶ」と諭した。落語では「選挙公約とかけて、湿布薬の効き目と解く」その心は「一週間も経てば捨てられる」と揶揄られる選挙公約だが、そうあってはならない。そして悪魔の誘惑とイエスの回答はいずれも聖書のことばが引用されている。神の試練と言う点では旧約聖書のヨブ記でも描かれているが、ことばを恣意的に引用してはならないと言う戒めでもあろう。

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