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相撲博物館「雲龍型と不知火型」

相撲博物館の展示は「雲龍型と不知火型」。場所開催中は、入場券が観覧の前提となる。場所後は入場無料で見学できる。

相撲博物館「雲龍型と不知火型」ポスター表面
相撲博物館「雲龍型と不知火型」ポスター裏面
相撲博物館の入口

 横綱土俵入りには二つのスタイルがある。第8代、第11代の横綱・不知火が不知火型の祖。雲龍型は第10代横綱・雲龍が祖。大きく両手を広げる不知火型、片腕を反対側に差し出す雲龍型。自分としてはダイナミックな型の不知火型を好む。そもそも横綱とは当初は土俵入りで場を盛り上げるための役割で、番付上は大関であった。横綱が正式な地位となったのは、1909年の第17代横綱・初代小錦から以降。

第8代横綱・不知火諾右衛門
第10代横綱・雲龍久吉


 相撲における歴史では、不知火型の力士には不運が訪れるという都市伝説があり、一時期は雲龍型ばかりとなった。具体的には第51代横綱・玉の海が若くして急逝、第59代・隆の里や第63代・旭富士が短命横綱など。しかしその後は第69代・白鵬や第73代・照ノ富士など不知火型で土俵入りを務める横綱も活躍してきた。そもそも不知火型は伊勢ヶ濱、二所ノ関の一門が採用。それ以外の出羽海、高砂、立浪、時津風、二所ノ関の一門(二所ノ関は両方)は雲龍型を採用。昭和以降では、雲龍型が31人、不知火型が11人と圧倒的な差。
以下は館内展示されていた横綱写真(数字は横綱代数)。
1️⃣10雲龍
20梅ヶ谷藤太郎(二代)、45若乃花幹士、48大鵬、35双葉山、55北の湖、71鶴竜、72稀勢の里、64曙、68朝青龍、67武蔵丸、62大乃国、61北勝海、58千代の富士、57三重ノ海
2️⃣8、11不知火
22太刀山、35羽黒山、59隆の里、66若乃花勝、69白鵬、73照ノ富士、70日馬富士、63旭富士、53琴櫻
https://www.sumo.or.jp/KokugikanSumoMuseum/

昭和以降の横綱が採用した土俵入り
一門の採用する土俵入り型

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