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生きる意味を問う

 8月7日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教。題材はヘブル人への手紙第4章14〜16節「生きる意味を問う」。

 親しくして頂いた先輩牧師にキリスト同信会の藤尾正人先生がいた。中野の教会では、円形劇場のように牧師を教会員が丸く取り囲んだ真ん中で説教する変わった座席配置を取っていた。「先生はどちらを向いて説教されるのですか?」と訊いてみたら「それは説教者の自由です。あっちこっち向いて回りながら話します」との答えだった。新宿西口の高層ビルに1階にフーコーの巨大振り子があるNSビルがあるが、そこの階上レストランで蕎麦をご馳走になった後で、国会議事堂に連れて行かれた。その奥の部屋で社会党議員10名ほどを集めて「聖書研究会」ということで、藤尾先生が聖書について説教していた。藤尾先生は国会図書館に勤務していて、定年間際に退職して牧師になられた変わり種。改修前の国会図書館の地下6階にある書庫に案内してもらったことがあった。書物ゆえに火災発生時の消火は水だと濡れるので、炭酸ガスによって鎮火した。その時に人間が残っていると窒息してしまうので、警報が鳴ると直ちに手近の出口から脱出せねばならないと注意された。その際に藤尾先生は「ここにある多くの本は二度と読まれることはないだろう」。書庫への在庫は保存が目的で、閲覧を目的としていない。過去の電気設計の技術書を数十年経って閲覧する人はいないはずだ。それに引き換えて、聖書は2,000年以上のロングセラーになっている。これは聖書が人間をテーマにしており、それが世界の基準や模範になっているからだろう。

 かつて水俣病という恐ろしい公害病があった。これは化学薬品会社であるチッソが水銀を水俣湾に流していたことで起こった。ここで採れた魚を食べた人に発症した病である。水俣湾で魚を獲っていた漁師たちは生活に困って、チッソに獲った魚を市価で買い取ってもらっていた。チッソは魚を買い取った後にコンクリート詰めにして投棄していた。そのことを知った漁師たちは魚を獲る気を失くしてしまった。しかし漁業補償は労働に対する対価であり、不就労に対する補償はできないということで紛糾した。これは「何のために生きているのか?」というテーマが人にとって切実であることを指している。

 教会員のN姉は、今も大学で教鞭を取っている。しかしご本人は長くリウマチに苦しんでいる。何度も手術を繰り返し、これからも手術が続くとのこと。お見舞いの際に、骨を固定するネジを見せてくれた。それは工作が好きな自分もよく使うネジだった。N姉は「磔にされたイエスさまに比べれば、こんな苦しみはなんでもない」と口にしていた。われわれの苦しみはわずか32〜33年の生涯だったイエス・キリストの追体験である。


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