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聖書に書かれていないイエスの青春期

4月10日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教。この日のテーマはマルコ伝第11章1〜10節「決死のエルサレム入り」。ゴルゴダの丘で磔刑になるためにエルサレムに向かうイエスの覚悟と準備をす章。イエスはロバを借りてエルサレムに入城する。イエスによるイスラエル民の暴動を警戒していたローマ軍は、ロバに騎乗したイエスの姿に捕縛する気を失ったローマ軍。牧師はそのイエスの行動を「ローマ軍への侮蔑嘲笑」と評していたが、自分には油断を誘った慎重な配慮と見えた。おそらくイエスは予めロバ主に話をつけていたはず。主のご入用に対して、務めを果たすことが大切だという教えでもある。

 この日の牧師はイエスの父ヨセフについての聖書に書かれていない推論を述べた。イエスの処女降誕は新約聖書が書かれ始めてから、ずいぶん遅れて起こった信仰。イエスが東からエルサレム入りすると同時に、暴動を警戒するローマ軍が西からエルサレム入りした。ローマ帝国の圧政に対して、エルサレムの反感と抵抗は強く反政府暴動が続いていた。ヨセフ一家はヘロデ王の虐殺から逃れた後に、ヘロデ王没後にナザレに帰った。その後から新約聖書にヨセフに関する記述は一切ない。この時期の最大暴動は、ガラリヤ地方最大の都市セポリスで起こった。ローマ進軍で街は廃墟となり、マサダ要塞のイスラエル兵はほとんどの兵が玉砕した。おそらくヨセフは暴動に参加して命を落としたのだろうと言われている。そして青年となったイエスも、父ヨセフと対ローマ帝国へのイスラエル民の思いは互いに確認していたことだろう。イエスはエルサレムで神殿を確認した後に、ベタニアの三兄弟の元に身を寄せた。身を清めた際に「神殿を強盗の巣にしてしまった」と怒りを露わにしたという。まるで今のウクライナとロシアの戦いのようだ。

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