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西鉄ライオンズ・池永正明投手の訃報

 20日夜からは2022年ドラフト会議で華やかな雰囲気。抽選で進路が決まった有望選手、指名漏れに肩を落とす選手の悲喜こもごも。そんな陰でひっそりと流れたニュースに、西鉄ライオンズのエースだった池永正明投手が76歳で癌で亡くなった訃報。春の選抜大会優勝、夏の全国選手権準優勝などの実績で、1965年に西鉄ライオンズに入団。同期にプロゴルファー尾崎将司氏がいたが「こんなにすごいやつがいたんじゃ」とプロゴルフに転向。低い姿勢からの直球、変化の大きなカーブが武器だった。高卒1年目に20勝を挙げて新人王。「鉄腕」稲尾和久氏(故人)の後継エースとなり、67年には23勝で最多勝。

 しかし1970年に八百長「黒い霧事件」で永久失格処分を受ける(2005年に解除されて復権)。この時の衝撃は計り知れなかった。両親の実家が九州だったことから、両親や親戚は西鉄贔屓。この事件で西鉄ライオンズは主力選手の大半を失った。特に投手に事欠いて、同じピッチャーが連日投げ続ける羽目に陥った。当時の河原明や東尾修は連投連投だった。今のようなローテーションなんかないので、当然のことながらくだびれてメッタ打ちされていた。たまに勝ち投手になると救世主のように称えられた。

 池永正明投手の才能と実績はすごかった。球界追放された時は、まだ23歳。若くて才能ある選手だった。 『この人だけは助けて欲しい』と事件の時に、子供ながらに思ったものだった。プロ通算103勝65敗、防御率2・36。同じ1946年度生まれには山本浩二、田淵幸一がいる。順調に選手生活を続けて入れば名球会の200勝どころか、300勝は挙げていたのではないだろうか。本人は無罪を主張(100万円を受け取ったが預かっただけで八百長はやっていない)。 2005年に処分が解除されて球界復権したが、その才能が空白の時間によって失われたことは取り返せない。「果たして黒い霧」は真実だったのか? 大相撲でも八百長事件があり、蒼国来関が解雇→訴訟→復帰の道もあったから、もう少し時間をかけて審議する必要があったかもしれない。


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