佐紀庵翁

「佐紀庵翁」

奈良には古来から佐保と佐紀がございます。

春の女神、佐保姫が住むと言われております佐保山の麓を流れる佐保川は、幕末の奈良奉行、川路左衛門尉によって植えられた桜並木により春の桜の名所となっております。

佐保の西隣、佐紀の歌姫(地名)を中心と致します佐紀山の麓には、平城京の大極殿や朝堂をはじめとする都が建設され、シルクロードの終着駅として国際色豊かな文化が育まれましたが、やがて平安遷都とともに寂れ、今は鶯の鳴き声のみが穏やかに響き渡る長閑な田舎となっております。

その佐紀山の麓、平城宮跡の少し北に、兎のちゃちゃと共に侘びしい借り住まいを致します私でございます。

佐紀庵と申しますのは、いわゆる庵号(仏教で建物の寄進をするなど仏道に貢献した人に送られる位号、あるいは茶道などで師匠から与えられる正式なもの)ではなく、あくまで雅号(ニックネームやペンネームのようなもの)のつもりでございますので、佐紀庵というような物があるわけではなく、ただ単に佐紀の地にある侘び住まい(庵とはもともとは農作業用の小屋などを指す)という意味でございます。

また翁と申しますのも、能の翁のような宗教性や神秘性を意識したつもりは無く、ただ単に年寄りという意味のつもりでございます。

年を重ねますと、物事の見方が変わってまいります。
今はただ、昔の自分を、また今現在の自分をも恥ずかしく思うのみでございます。
特に師匠の急死後、実力もございませんのに様々な事をやり散らかし、結局何一つ成し遂げずに周囲の方々にご迷惑ばかりおかけしました。
今は体も昔のようには動かなくなり、おまけに病いを得て体力も無くなりました。

現代社会では「若さ」と「健康」がひとつの価値観となっており、いつまでも健康で若々しくある事が素晴らしい事とされますが、「老い」や「病い」というものは避けられるものではなく、それらをマイナス要因としてのみ認識してしまう事に少し疑問を感じております。

病みつつ老いても、それもまた価値のある事とし、それらの中から得られる境地で、若者達と張り合うわけではなく、むしろ若者達から尊敬され慕われるような老人になれたら理想だと、恥ずかしながら現在は思っております。

なお、西川流の日本舞踊家と致しましては、これからも西川矢右衛門を名乗って行くつもりでございますので、並びにお見知りおきくださりましたら幸甚に存じます。

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