現代的時代劇と古典的時代劇

最近あんまり時代劇を見なくなってしまったんですけど…

なんですか、最近の時代劇はものすごくリアルに作られているのだそうで
私達が「時代劇〜!」っていう固定観念を持ってしまっているものを否定して
逆に時代考証などをしっかりして、当時の衣装とかを染め方から再現してみたりとか
髪の毛も、いかにもカツラ!ってのじゃなくて本人の生え際を活かしてみたりとか
照明も不自然なのを避けて、出来るだけ自然光に近い感じにしてみたりとか
そういう所、ものすごくこだわったりしてるみたいですね。

芝居の仕方もやはり変化してるみたいで…

一口に武士って言ったって色んなのが居ただろう。
身分職業とか色々あっても、人間としては皆同じなんだから、この役柄はこう演じる!みたいな型にはめ込んだ決めつけは捨てて、もっと役者の内面を重視した演技を求めるべきだ。

…ってのが主流みたいですね。
いや全く間違って無いですし、その通りだと思います。

狂言なんかでも大蔵流なんかはそんな考え方だったんじゃないかな?
役を演じるというよりも自分の中から自然体で出て来るものを大切にしろ、みたいな…
違ってたらごめんなさい。


なんですけどね…

その当時の人々の「仕草」ってのが消えて行ってしまってるのは淋しいなぁと思うんですよ。

例えばね、お婆さんが、胸元に手を当ててグァっと首を前に出して衿を抜く仕草とか…

簪を無造作に抜いて日本髪の頭の中をグシャグシャと引っ掻き回して(痒いんでしょうね)、また何気なく元の所に刺す仕草とか…

職人が手にツバをペッペとかける
江戸っ子が鼻を擦り上げる
酒を飲む時に袖をチョイとつまみ上げる
ゴネた時に尻をまくり上げて座り込む

こういう仕草ってのは…これ、当時は本当に居たんですよね、そういう人が。
近所にそういう仕草をする人が居てて、それが芝居の中で出てくるから、面白いというか身近に感じるというか…


映像の芝居、つまり映画とかテレビドラマとか、そういうのは、本当に最近は役者さんの血管の浮き出し方まで映し出すので、内面から出てくる演技じゃないと現代は通用しないんだと思います。

ですが、映像用の演技ばかりを絶対だと思ってしまうと…舞台の上で、ほとんど棒立ちでセリフばっかり喋ってるような芝居になってしまったりします…舞台ってアップとか無いですからね…汗💦

広い劇場で、一番後ろの客席まで演技を届けようとしたら、顔の表情や、怒って血管がピクピクしてるのとか…申し訳ないけどあんまり関係ないです…身体表現の方が大事です…

なんですか最近は、脚本なんかでも、新人オーディションをすると、細かく細かくシーンを割った脚本を書いて来る人が多いそうで…
つまり映像用の脚本なんですね、これって…
舞台用には使えない…場面転換が多すぎて…みたいな話をよく聞きます。


まぁ映像用の演技でも良いんですけどね。
内面重視は大切な事です。仕草や型だけがあって気持ちが無いのは一番いけません。
また映像では、あんまり大袈裟な動きをすると、それもそれで違和感があって大根役者と言われてしまいます…

…なんですけどね
自然な感じで出てくる仕草や所作は大切にして欲しいなぁ…
役柄を演じ分ける時に、その役らしさを出すのに便利ですし
昔の役者さんなんかは役柄によって、歩き方から変えてましたからね…
同じ所作をしても、人によって持ち味は違うものが出てくるし、それが本当の意味での個性なんだと思うんですけどね…


そういうのって、やっぱり歌舞伎を研究するとか、日舞の所作事を勉強するとか、そういう事をしないと身につかないんですよね…

だいたい昔の時代劇役者さんって、歌舞伎からの流れの人が多かったですしね。
殺陣とかでも元々は歌舞伎の立ち回りですよ。そこから武道に詳しい人とかの教えを吸収して行って今の殺陣があるんですよ。


現代的な時代劇ってのも、良いとは思うんですけどね。
ちょっと古典的な部分も意識して入れてもらえたら嬉しいなぁ…
ってかそこ、ジャパン・オリジナルだから…

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