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倨傲
今日は一日かけて色々と反省しております。
若い頃、踊りを始めたばかりの時は、当然ヘタクソですから一生懸命でした。
お師匠さんからは、いつも兄弟子と比べられ、「お前はヘタだ。お前はヘタだ。」と、しょっちゅう言われ続けてました。
ですが、ヘタで当然だと思ってましたし、だからこそ頑張ろうと必死でした。
若い時は、無限の可能性を信じているものです。限界なんて考えた事もありませんでした。
「うまくなって来た」と言われたのは、本当にお師匠さんの晩年でした。
ですが、その頃には娘が少しずつ上達して来ており、娘は小さい時から踊りをしていましたので、お師匠さんと、
「やっぱり子供の頃からの芸は何かが違う。まだまだやけど、アンタには無いものがある」
「そうですね」
みたいな話をよくしていました。
私は二十歳過ぎてから踊りの世界に入りましたので、それでもこの業界ではスピード出世で、自分にも少しくらいは才能というものもあるのかな…なんて思ったりもしてましたが、娘の成長を見て、自分の芸の限界を知りました。
娘は色々な経緯があって、京都に行って踊りを続けています。
最近では昔のクセも随分取れて、このまま成長して行って欲しいと願っています。
私はこの頃から、お師匠さんに「私はそろそろ引退します」という事をよく言っていました。
まだ四十代でしたので、「何を言ってるねん」といつも叱られて、続けていましたが、自分に自信というものは無くなっていました。
お師匠さんが亡くなられて…
私は奈良に隠棲しました。
もう表立った舞台に出るつもりはありませんでした。
細々とお稽古をして生きて行くつもりでした。
ですが、お師匠さんから託された花街のお稽古、文化サロン等のお稽古…向こうみずに無鉄砲に駆け上がってしまった地位…隠棲はなかなか許されませんでした。
お師匠さんが居なくなって空いてしまった空白部分…私にはそれが重荷で、本音を言えば、いつも逃げ出したいと思っていました。
ですが逃げ出すわけには行かない…
お弟子さん達の前で、自信無さげな顔をするわけには行きませんでした。
私はこの頃から、自分に暗示をかけ始めたのだと思います。
「自分がこの立場に居るって事は、きっと何かしらの運命なんだ。僕なら出来る。僕なら出来るんだ。」
ですが、物事はなかなかそう上手くは行かず、右往左往するうちに、私の周りの状況はどんどん悪化して行きました。
そして私は、状況が悪化すればするほど…
「いや、今は不遇な時代だけれど、きっと良い時が来る。僕なら出来る。僕なら出来るんだ。」
と思い込むようにしました。
…そうしないと、潰れてしまいそうだったのです…
ですが、いくら頑張ってみても、もがいてみても…状況は良くはなりませんでした。
そりゃあそうです。そもそも実力が無かったんですから…
ですが私は、その点には目を瞑りました。気付かないふりをし続けました。
「僕なら出来る。僕なら出来るんだ。」
そう思い続けた事が…いつの間にか私は、私自身を、とてつもなく不遜で倨傲な人物に育て上げてしまった事に、最近まで気が付きませんでした。
状況の悪化は、新型コロナがさらに追い討ちをかけました。
この状況下では、もう私は…
「僕なら出来るんだ。」
とでも思い込まない限り、一歩外へ踏み出す事さえも出来かねるような状態になりました。
最近、何人かの人から…
「矢右衛門さん、あなたのその根拠のない自信はどこから来てるんですか?」
「私はあなたの芸より、他の人の芸の方に魅力を感じますよ」
と言われる事があり…目が覚めました。
なんと私は…嫌なヤツだったんでしょうね…
気付かせてくださった方には感謝しないといけないんでしょうけど…なにせ何年もかけて自己暗示をかけて来たものが急にとけたものですから…ただ今は呆然としております。
目の前にあるものを現実として受け入れなきゃいけない…
普通の大人は皆さんやってる事なんでしょうけど…この年になってこの状況、キツイですね。
明日の学院の授業はどうなるんだろう…コロナ禍でオンラインになるのかな…通常授業なのかな…私はちゃんと行けるのかな…汗💦
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