FGO秦良玉の宝具に関する一考察
※この記事は2018年にとあるサークル誌上で発表したものを、下記企画用に再編したものである。
0.前書き
Fate/Grand Order(以下FGO)というゲームをご存じだろうか。TYPE-MOONによる人気作品『Fate』シリーズの一種で、ダウンロード数2600万以上を誇る人気スマホゲームである(『Fate』シリーズ自体の説明については割愛する)。2018年11月末、そのFGOにサーヴァント(※1)として秦良玉が実装された。この秦良玉の宝具は「崇禎帝四詩歌(むよくにしてちゅうぎのうた)」というものであったが、筆者はこの宝具発動ムービーの背景に現れる漢詩とその出典に興味をもった。そこでこの漢詩について若干の調査を行い、その結果をTwitterに反映したのだが、その後に判明したことも含めてここに改めて記すこととする。なお、この場を借りて本調査のきっかけをお与えいただき、またTwitter上にて様々な助言をいただいた遊牧民(Historian_nomad)氏に、この場を借りて感謝を申し上げる。
1.秦良玉とは誰か
秦良玉(1574~1648)は明代後期の軍人で字は貞素、四川忠州(現在の重慶市忠県)の人である。中国史上、正史に列伝を持っている女性はこの秦良玉だけである。石砡宣撫使・馬千乗の妻となり、夫婦で楊応龍の乱(※2)の鎮圧などに出撃して戦功を挙げた。馬千乗が訴訟事に巻き込まれて獄死するとその職を代行した。その後は遼東での戦争や四川を中心に活動していた賊徒・張献忠(※3)の討伐に従事し、永暦二年(1648)忠州にて没した。
秦良玉麾下の部隊はトネリコでできた槍を装備していたため、白杆兵と呼ばれ恐れられた。また、その人となりは大胆で知略に富み、よく騎射をし、詩文に通じ、落ち着いていて雅な女性であったという。
2.御製の詩とその出典
それでは秦良玉の宝具の漢詩の出典について考察していこう。秦良玉は四川から軍を率いて京師の救援に赴いた際、崇禎帝から御製の詩を賜った。このエピソードがFGOにおける宝具の元ネタとなっている。ゲーム内で見られる詩の全文は以下の通り(原文ママ)。
この漢詩を、中国基本古籍庫を用いて検索してみたところ、『崇禎遺録』なる史料がヒットした。これを見てみると、なるほど前掲のものとよく似た詩が掲載されていた。該当部分は以下の通り(字体は新字体に修正、句読点等は筆者。特記のない限り同じ)。
よく似てはいるが、文字にかなりの異同があることが分かる。『崇禎遺録』は王世徳という人物による作品である。王世徳は明末に錦衣衛指揮僉事を務めていた人物で、北京陥落後に自害を図るも果たせず、僧として余生を過ごしたという。野史(非公式・民間で作られた歴史書)に明朝に対する誹謗の多いことに切歯扼腕した彼が著したのが『崇禎遺録』であり(※4)、管見の限りこれが秦良玉に賜与された詩の初出であると考えられる。
しかしながら、初出とはいえ『崇禎遺録』に記載の漢詩はゲーム内のものとは一致しなかった。そこで、『崇禎遺録』以降に出版された史料についても順に検討していくことにする。
まずは清康煕四十四年(1705)頃成立の『明詩綜』だ。ここにも同様の漢詩が掲載されている。以下はその内容である。
『明詩綜』には上記の一首しか収録されていない。また、詩に続く部分に「王世徳曰」とあることから、『崇禎遺録』の方が先に成立しているということが分かる。しかしながら、すでに『崇禎遺録』と一致していないことも同時に分かるだろう。
続いては同じく康煕年間(1661~1722)に成立した『元明事類鈔』である。内容は以下の通り。
これも第二首のみの掲載である。『明詩綜』とほとんど異同が見られないため、『明詩綜』を参考にしたものと思われる。
次は時代を一気に進めて1962年、『四川日報』に掲載された郭沫若(※5)の『関于秦良玉的問題』という記事である。ここにも前述と同様の漢詩が掲載されている。
特に後半に異同が見られる一方、初出のものを踏襲しているとも考えられる。ここで『石柱庁志』を参照してみよう。
今まで挙げてきたものとかなり異なる部分も多いが、一方でゲーム内の詩と一致する字も散見される。しかしながら、相互に完全一致する文献は存在しない。遊牧民氏は郭沫若が『崇禎遺録』を参照して地方志を修正した、もしくは北京周辺では『崇禎遺録』が、四川では地方志が出回っていたとの説を提示しているが、実際のところははっきりしない。
1994年に編纂された『石柱県志』にも同様の漢詩が掲載されている。内容は以下の通り。
地方志版と郭沫若版が混在したようになっているが、何をもってこうしたのかは不明である。そしてこれもゲーム内の漢詩とは一致しない。
ちなみに中国版Wikipediaこと百度百科ではどうなっているのだろうか。秦良玉の百度百科には以下の漢詩が掲載されている(一部省略、簡体字部分は原文ママ)。
今まで挙げてきたものとはかなり異なっている。特に第四首前半の「匈奴」とは一体どこから引用してきたのだろうか。謎は深まるばかりである。
3.結論
結局、ゲーム内に引用されている漢詩と一致するものは管見の限り存在しなかった。また、初出が『崇禎遺録』であることは間違いないが、その後の伝わり方にかなりの幅があることも確認された。FGOが何を参照したのかについては明らかにできなかったが、まだ確認していない文献として井上裕美子『女将軍伝』や文公直『秦良玉演義』などが存在し、こちらにゲーム内のものと合致する詩があるかもしれない。今後の調査課題としたい。
4.再公開にあたっての補遺
この記事を最初に執筆・公開してから4年が経過した。まさかこのような形で再公開することになるとは思ってもみなかったため、執筆当時に放置していた元号への西暦付記や、注釈の再編を中心に色々と手を加える必要があったのだが、一番驚いたのは冒頭で挙げたFGOのDL数だ。執筆当時は「1400万DL以上」としていたのだが、4年で更に1200万も数を伸ばすとは……。脱帽である。
また、この4年の間に下掲のような更に詳しい記事が出ているので、興味がある方はこちらも参照されたいというか↓の記事の方が詳しいのでこの記事はもはやいらない子です。
注釈
※1 早い話が「使い魔としての歴史上・神話上の英雄」。『Fate』シリーズでは、このサーヴァントを使役して聖杯戦争を戦い抜く。宝具はサーヴァントの必殺技のようなもの。
※2 万暦十九年(1591)から万暦二十八年にかけて播州(現在の貴州省遵義市)で起きた反乱。楊氏は代々当地の苗族鎮撫を任務としており、楊応龍も父の後を継承していたが、次第に支配の拡大を図るようになった。これが明朝中央に認められなかったため、万暦二十五年に朝鮮出兵の虚に乗じて挙兵したが、火器を有効利用した明軍の前に敗れた。
※3 張献忠については『蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記』(彭遵泗、朱子素、王秀楚著、松枝茂夫訳、平凡社、東洋文庫)に詳しい。
※4 『清史稿』巻五百、遺逸一、王世徳伝「嘗憤野史誣罔、不可伝信後世、欷歔扼腕、作崇禎遺録一巻、自序之、康熙間修明史、有司録其副本上史館」
※5 郭沫若(1892~1978)は中国の文学者。四川省成都の中学校で学んだ後、1914年に日本に留学。1923年に帰国し国民革命軍に参加した(留学中、詩集『女神』を刊行している)。日中戦争勃発後は国民党政権で文化政策に従事し、中華人民共和国成立後は政務院副総理、科学院長などを歴任した。近代中国文学に多大な影響を与えた他、甲骨文字の研究など中国古代史学の分野でも業績を挙げている。
※6 本書と郭沫若の記事に関しては『秦良玉史料集成』に掲載のものを利用した。
参考文献
王世徳『崇禎遺録』北京市中国書店 19??
朱彝尊編『明詩綜』世界書局 1962
秦良玉史料研究編纂委員会編『秦良玉史料集成』四川大学出版 1987
石柱県志編纂委員会編『石柱県志』四川辞書出版社 1994
趙爾巽等撰『清史稿』香港文學研究社 196?
姚之駰撰『元明事類鈔』商務印書館 193?
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