人に恵まれているという実感が私を泣かせる

21歳になってから、涙もろくなりました。
人に恵まれているからだと思っています。
これはその記録です。


実母にクレカ盗んで使った疑いをかけられていました。笑う。


05-24


私と母は同居していないので、まぁ盗みようもないのだけど。
普段からたまに電話して近況を聞くなどしていた私です。自分からかけてくることがない母からの電話が遠回しに尋問だったことにしばらく気づきませんでした。自分の鈍感さに呆れます。
気づいた瞬間からショックがじわじわと頭を蝕み、喉の奥の方で吐き気が生まれたのがわかりました。無職の母のことを考えて、バイトをしこたま入れてはお金を貯めたりなどしていた(これは自発的な行動なので、そこに関しては特に何も思いません)私としては、虚しく、悲しい気持ちになったりなどして。そのことを噛み締めて、帰宅した恋人の顔を見たとたんに涙が溢れました。疲れて帰ってきただろうに、家で待つ彼女は笑顔で迎えるどころかキッチンで座り込んで泣いている。本当に申し訳ないことをしたなぁと思っています。
でも彼はため息ひとつつかず、声を出さずにぼろぼろ泣いている私の目線に合わせてしゃがんで、優しく「どした?何かあった?」と聞きます。もうそれだけで、私は情けなくぐちゃぐちゃに成り下がるのでした。だって彼は知っています。母が私の口座から40万円を抜いたことや、ヒステリーや癇癪をおこしては私にあたっていたこと。そしてそれに怒ってくれたのです。だからこそ、言いたくありませんでした。無駄なエネルギーを使わせたくなかった。首を横に振ってはみましたが、嗚咽まで登場し、何もなかったと言うには無理がある状況になってしまいました。なんとか挽回しようと、笑い話的に消化することを試みました。でもだめでした。
「なんか、ママから電話きてお金の話ずっとされてたんだけど、」くらいでもう涙が止まらなくなり、「クレカ盗んで使ったんじゃないかって疑われたみたいで、」の頃にはひどい有り様でした。涙は頬を覆い、顔は真っ赤になり(多分)、鼻水も出ていました。ぐちゃぐちゃのボロボロです。
あーもう嫌われるかもしれない、こんなに詳細に言う必要ないのに、同情を引いているみたいじゃないか、卑しくて嫌になる。そんなふうに思いながらも、一度転がりでた感情は全てを吐露するまで止まりませんでした。
「もう、生まれてこなきゃよかったのにね」
最悪の着地です。笑ってごまかすもののなんの説得力もないボロボロの女と、吸い殻であふれた灰皿と。このキッチンは目も当てられない、とぼんやり思いました。
彼はすごく悲しそうな顔をして、「そんな事言わないで」と言いました。
あーあ、そんな顔させたくなかった。
私の頭をなでて、涙を拭って、抱きしめて、辛かったね、悪くないよ、俺は味方だよ、大好きだよ、とまるで当たり前かのように言ってくれるのが、ありがたくて申し訳ない。
当たり前じゃないんだよ。あなたが私のことを愛してくれて、それが加害性をもたないことは。あなたはきっとそうだねとは言わないだろうけど。
私はいつでも感謝しています。

05-30

保護者のように接してくれる教授がいます。ゼミの担当教員の、K先生です。彼女は私のことを本当に心配し、話を聞き、助けてくれます。私にとって恩師というにふさわしい方です。私はなんとなく話しておこうという気になって、その日、先生に母とのことを話しました。先生も私の親のとんでもエピソードを知っているので、今度も例によって怒ってくれました。
話は少しそれますが、その前日、私は左腕の痙攣に見舞われていました。先生を訪ねる前に医務室で聞いたところ、ストレスによる筋肉のこわばりではないか、とのことでした。
その話も伝え、さらには次の日実家に帰らなければならないのだと言うと、先生はいたく心配し、薬のストックはあるのかと聞きました。実は私はうつ病で通院していた時期があり、その再開のために実家に帰ることになっていたのです(病院は実家から車でいくしかない場所にあるので、朝一の時間帯での診察は実家に一泊してから行く必要がありました)。ない、と答えると、先生は言いました。
「これから病院に行って、頓服だけでももらっておいで」
心療内科というのは、基本的に予約制のところが多く、当日飛び込みで、しかも初診の患者を診てくれることなどほとんどありません。先生もそれは知っているはずでした。彼女はたくさんの方面に造詣が深いのです。
「でも、明後日行くし」
「通院はするとして、その前日を実家で薬なしのまま過ごすのは辛いんじゃないの?」
ハッとしました。そんなところまで頭が回っていないくらいには、追い詰められていたのだと思います。
「むりかもしれない、ですね……」
先生は一層真剣な顔をして、続けました。
「病院行きな」
自身のスマホで既に病院を探し始めてくれている先生に、私はうーん、とお茶を濁しました。心療内科に電話をかけるのが苦手なのです。
「なんか、電話すると泣いちゃって喋れないんですよね」
「うん、私が電話するから」
「え?」
言うが早いか先生は、スマホを耳に当てました。
本人が電話もできない状態で、と冷静に、真剣に話してくれる先生の、その声だけで泣きそうになりました。私が何もできずに馬鹿みたいな笑みを浮かべている間、先生は何件かの病院に電話をかけてくれましたが、やっぱり見つかりませんでした。
「先生、大丈夫です、すみません」
何が大丈夫なのかわかりませんでしたが、これ以上迷惑はかけられないと思いました。すると先生はううんと首を横に振って、医務室に電話をかけてくれるのです。
「先ほどそちらに行った遣瀬さんなんですけど……」
先生は私の状態が深刻であることを伝え、校医のつながりで受診できる病院がないか聞いてくれました。医務室の養護教員さんは、恐らく「自分が喋った感じだと大丈夫だと思う」というようなことを伝えたんだろうと思います。それもそのはず、私はことを深刻にするのが得意ではないのです。だから医務室でも、冗談交じりに腕の痙攣とうつの話をしていたのでした。
仕方がないことです。そうなるように動いたのは私です。涙が目に近づいてくるのがわかりました。こぼさないように必死に目を見開いて、先生のことを見たままでいました。
「遣瀬さんというのは、自分を律するのが得意な方です。我慢して、取り繕うのが得意です。そんな彼女が私に申告してきたということは、本当に辛いんだと思うんです」
まばたきをしなくても、涙はこぼれてしまいました。驚いて目をつむって、もう一度開くともうだめでした。私はまた泣いてしまいました。
医務室の方は、いわば専門家です。それでも先生は、彼女たちより私のことを知っているという、それだけのことを、『根拠』にしてくれたのです。たくさんの事柄が一瞬で頭に瞬きました。
そうか、私が先生に申告したってことは、私が辛いってことだったのか。わたしは、いま、つらいのか。目から鱗でした。虚しくて悲しくて、そんな感情の大元にある母のところへ、明日帰らねばならない。私は、それを辛いと思っていたんだ。
そうして先生は、私のことをそんなに理解してくれていたんだ。
悲しくて泣いているんだか、驚いて泣いているんだか、嬉しくて泣いているんだか、もしくはその全てなのか、涙の色でわかるようになればいいのに、と思いました。そうしたら、正しい感謝を伝えられるのに。

07-07

生きていくことは難しいと、心底思います。
保育園の頃からずっと、父の逆鱗に触れないように、母の機嫌を損ねないように、グラグラした天秤の上を歩いてきました。父が出ていって、母が不安定になり、私は中学校でいじめられ、死のうとしたことも一度や二度ではありません。
それでも高校では、周りに前世は双子だったんじゃないかと言われるくらい気の合う友人ができました。彼女と過ごす日々は、束縛とヒステリーの激しくなった母と暮らす毎日を死なずに過ごすための分銅でした。
父が出ていったのが、不倫相手と、彼女との間にできた私の妹と暮らすためだったと発覚したのは高校を卒業して1年半ほど経った頃でした。すでに鬱を発症していた私が、自分は捨てられ、母を押しつけられたのだと知ったとき、死という選択肢を取らなかったのは、分銅たる彼女が私の生の側についてくれたからでした。
知らない人にレイプされて自暴自棄になった私がマッチングアプリで彼氏をつくり、その人にもまるで性欲処理のためかのようにぞんざい扱われていたことが発覚したとき(私は9ヶ月、全くそれに気づかずにいたのですが)、怒ってくれたのはやっぱり彼女と、今の恋人たる職場の先輩でした。
少しのバランスを崩してしまうだけで、心は簡単に壊れます。私は身を以てそれを知っています。バランスを崩していることに、気がつかない日のほうが多いことも。
私のまわりには、私を取り巻く環境に怒ってくれる人がいます。
私はとても恵まれているのだと感じます。

私が「人に恵まれている」と言うと、大抵の人は「遣瀬ちゃんがいい子だからだよ」と言いますが、そうではないと知っています。私は運が良いだけです。

例えば、そう、このnoteの見出しの日付が丸1ヶ月空いているのは、彼氏の浮気未遂があったから、とか。


それはまた、別の話。

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