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賛否両論!家出チケット -やどかりハウス利用者の声③・まとめ

犀の角が販売をはじめた「家出チケット」。賛否両論あるこのチケットについて、やどかりハウスの利用者の皆さまから「家出チケットに関連して思うこと」や「家出について思うこと」についてさまざまな声を寄せていただき、第1・2回では「家出」にまつわる体験談をはじめ、やどかりハウスへの想いなどをご紹介しました。

さまざまな意見をご紹介してきた「賛否両論!家出チケット -やどかりハウス利用者の声」。今回で最終回となります。

過去の声はこちらから↓

サワタリホさんの声

私は、予測の出来ない大きな音が苦手だ。生まれ持った脳の特性もあるが、子どもの頃の"家"での体験も影響しているのかも知れない。
私の家族は、いつも緊張に包まれていた。決まった物の位置が変わると、父は激昂し、怒鳴り声を上げる。机を叩き、棚は倒される。変化に耐えられず、怒りを抑える事が出来ないのだ。夜になると両親の言い争う声が聞こえる。耳を塞いでもあまり意味はない。その日はもう眠ることができなくなる。
両親は私が中学生の時に離婚したので、年数にすればせいぜい10年間程度の話だが、この頃は、ただ静かに暮らしたいと望んでいたように思う。
今は、大人になり、以前のように物音で眠れないことは無くなったが、ひとりで過ごしたい時に、やどかりハウスを利用させていただいている。静かなベットで横になり、天井を眺めていると、あの頃にこんな場所があれば、ただこうやって静かに眠れる場所があれば、、、。そんなふうに考えてしまう。

家とは、誰にとっても安心できる場所とは限らない。そこにいることが心身を傷つける要因にすらなる事もある。逃げる場所があれば、一時的にでも身を守ることはできる。そう言った意味で、家出は生き延びる手段とも言える。
ただ、家出には危険も伴う。行き場所のない人を搾取するような人間も存在する。
チケットの名前に対し異を唱えた方は、家出という言葉に対し、危険性といったネガティブなイメージを持っていたのかも知れない。
言葉の持つ多義性と現実認識のずれが齎す軋轢は普遍的なもので、それを解決していくには、地道な対話をしていくことが最善だと、わたしは思う。

わたしは、やどかりハウスを支援する今回のチケットの試みは継続して欲しいと思っている。 なぜなら、一人になりたいときに一人になれ、他人に言えない悩みを打ち明けることのできる人がいる。

そんなやどかりハウスという場所にいつも、とても救われているからだ。

ぬいさんの声

家出チケットというネーミングは、どこかドラえもんの便利な道具のようでナイスだと思う。そしてまた、その使い道もドラえもんの道具的である点がありがたい。

ドラえもんの道具というのは結局、代替品であり、その場しのぎの代物だ。
のび太君は鳥のように空を飛べないからこそタケコプターを使い、タケコプターの力を借りる時にだけ、飛翔が叶う。
あるいは、のび太君はどこにも旅する力が無いからこそどこでもドアを使い、どこでもドアの力を借りる時にだけ、移動が叶う。

家出チケットもまた、それと似たような便利な道具だ。

タケコプターやどこでもドアが本物の飛翔や移動の力でないように、家出チケットの利用は本物の家出ではないし、永遠の放蕩でもない。
この便利な道具を使う時にだけ、我々は束の間、安心して家出のようなものを味わう事が出来る。

そして必ず、日常へと帰って来るのだ。

……冒険の最後に、様々な思い出や成長を抱えたのび太君が、結局はいつもの子供部屋へ帰って来るように。

匿名さんの声

家出チケットと言う名前はいかがなものかと、言葉の響がよくないような気がします。私の考えは癒しチケットとか和みチケットってどんなものかと一つの提案ですが  家出についてはしたことはありませんが何度もしたいと思った事はあります日常の生活の中でやりきれなくて2,3日何も考えずに過ごせたらって思います 

人畜無害さんの声

「家出」いいじゃん!

その表現が気になるのか?
その行為が気になるのか?
何をそんなにも不快に思っているのだろう?

一昔前は、というか今でも家出は悪い事という概念がある。
しかし、家出と言っても、公認、非公認、積極的、はじめは消極的でも前向きな動きへの変化形などいろいろある。

新海誠の映画「天気の子」は、 離島から東京に家出してきた少年・帆高と、“祈るだけで晴れにできる“力を持つ少女・陽菜が出会い、運命に翻弄されながらも自らの生き方を「選択」していく物語だ。
そこで語られているように、自らの生き方を選択していくために家出が必要な時もあるのではないか?

大人も子供も、性別を超えて、逃げることが時として大切である。

逃げれる場所があるのは、決して当たり前ではない。
家出チケットをもらうことで救われる命もある。

まさに「生きること」に直結しており、ただ表現の良し悪しで判断しないでほしいと心から願う。

ひとまずのまとめ

「家出チケット」にまつわるご意見をやどかりハウス公式LINEに登録している人達に募集したところ14名が投稿を寄せてくださいました。
書いてくれたものはすべてそのまま掲載しました。
忖度なく、ほんとに賛否集まるものだと感心しましたし、率直に思う事を書いてくれたこと、本当にありがたく思います。
私自身は「家出」をしたことがありません。正確に言えば、帰るのが嫌でどこかに泊まるとか、友人の家で数日過ごすなどの経験はあります。
しかしそれが「家出」だったかと言えば違う気もしていて、むしろ家に帰ることを回避できたが故に「家出」せずに済んだということのように感じます。「家出」と言った時、それはもはや帰る場所を捨てるようなニュアンスがあるかもしれません。そうした重いニュアンスを感じて抵抗を示される方もいるように思いますし、逆にそれをありがたく感じる方もいる。
つまり、各々の置かれた状況や経験により受け取り方も違うのかなとも思います。そういう思いや経験を交換できる場が大切だと今回やってみて改めて感じました。

私が感じている「家出チケット」のニュアンスは「家出することが必要な人がたくさんいるし、逃げてくることは悪いことじゃない。お互い様だから、苦しかったらぜひ泊まりに来てね!」という温かな街の人達の言葉をそこに感じています。
それは、この2年間、街に逃げ込んでくる人達を本当に心温かく受け入れてくれ、見守ってくれ、サポートしてくれる人達を私たちが目にしたからでしょう。

「地域こそが安全な場所だった」

それはこの2年の私たちの実感です。
人が集まる街という場所が私たち以上に困った人を受け入れてくれるという事実。また人々がそっと支え合うその光景に、私たち自身がどれだけ力をもらったことか分かりません。
一時しのぎにしかならないかもしれないし、帰ればまた現実が待っているかもしれない。それでも街にこういう場が在るという事実自体に、私たち自身希望を貰っています。
本当に大変な世の中です。それでも生きていきたいと思える関係性が街に生まれ続けることを期待してやみません。
引き続き、みなさんと一緒に考えていければと思っています。
どうぞよろしくお願いします。


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