自己紹介

Yadashi Tanaka

こんにちは。柔道整復師のtanaka tadashiです。
簡単に自己紹介させていただきます。

生い立ち

1987年長野県北佐久郡北御牧村(現在の東御市)に生を受けました。
4人兄弟の(自分が一番)次男です。
生まれも育ちも【信州】で、一度も県外で暮らしたことがありません。
そうです。「田舎者」です。

小学4年生から高校生まで兄の影響で⚾️野球⚾️をやっていました。
ポジションはキャッチャーで練習試合を含め他のポジションを一度もやったことがありません。
”古田敦也”に憧れ眼鏡👓をかけていました。とにかく野球のことを考えることが好きで同じチームのピッチャーの特徴をノートにまとめていました。
『記憶より記録』これが私の一番好きな言葉です。←一番最初に買った本「古田式」に記載があったk

私が医療の道に進むことになった経緯は高校生の時です。
進路を考え始めた高校3年生の春・・・・怪我をしました😢腰痛です。
きちんとした診断も受けずに俗に言う”対処療法”を行い治療院を転々としました。最後の大会にはなんとか間に合ったものの今考えると
なぜ?はっきりとした診断を受けずに・・・」と後悔が残ります。

その時に
大学に行っても野球を続けるか?
それとも裏方(医療)の道に進むか?の2択で悩んでいました😅
高校最後の大会の結果に委ねることとしました。
甲子園に出場したら大学でも野球を続け行けなかったら医療の道へ進む。

甲子園

私が今、柔道整復師として働いていると言うことは・・・・・
はい。「甲子園」には行けなかったと言うことです😢

でも医療の道に進んでよかったと思っています。

なぜ?柔道整復師?

最初は「スポーツトレーナー」になりたかったのです。
しかし、私立高校を出ている私は大学・専門学校へ行く事に申し訳なさを感じていました。そんな時自宅から通える場所に柔道整復の専門学校が新設されたのです。

学力の無かった私は「新設の学校であれば生徒が欲しいだろう」と安易な考えの下その学校へ進みたいと両親を説得しました。

成績は決して良くはなく、むしろ最下位といっても良いくらいでした。
出席日数はギリギリで親族・親戚の葬儀を何回も作りました。
ごめんなさい。
奇跡的にも卒業・国家試験に合格することができ合格ギリギリラインだった私はろくに就活もせず就職先が決まったのも国家試験合格発表後でした。

超音波との出会い

なんとか整形外科に就職したもののそこに待っていたのは”理学療法士”とのレベルの違いです。知識・技術だけでなく柔道整復とは算定できる保険点数が倍以上違いました。
当時、運動器リハビリテーション料180点の理学療法士に対して柔道整復師は85点・・・・・😢患者さんと接することされできませんでした。
そんな時です。超音波と出会いました。今でさえ理学療法士も超音波を使いこなしていますが当時は皆無でした。
『理学療法士にはできないことをしよう❗️』それからお昼休み・業務終了後超音波に触りまくりました。

超音波での挫折

超音波をはじめて6年が経ったある日・・・・”工藤慎太郎 先生”が当グループにやってきました。

画像2


今までは静的評価しかせずに大雑把な解剖知識で「私は超音波ができる」と思っていましたが工藤先生の話についていけず超音波で何を撮像しているのかさっぱりでした。加えて動的評価・・・
崖から突き落とされた気分でした。
しかしこの出会いが私の超音波を極めたいと思ったきっかけです。

私が行いたいこと

生まれ育った【信州】で超音波を盛り上げたい❗️❗️
超音波の研究を行いたい❗️・・・・修士できれば博士❗️
このnoteでは超音波に関する内容を基礎から応用までアップしていきたいと思います。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します。




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Yadashi Tanaka
運動器超音波に夢中の柔道整復師です。 今後コメディカルも超音波が必須になってきます。徒手療法に限らず自分が行なっていることの『見える化』が必要です。 そのために超音波のスキルを磨いて行こうと思います。