#562 遅れてしまった男
目の前の白いカーテンが揺れて、青い海が少しだけ窓の隙間から顔をのぞかせた。
シオリが部屋の玄関の方を振り返ると、ユキオが立っていた。
「遅れてすまなかった。」
ソファーで横になっているシオリを横目に、ユキオは椅子に腰掛けた。テーブルの上には、オードブルが並んでいる。
「食事の前に、シャワーを浴びても?」
「いいえ、ダメよ。あなたに待たされたおかげで、腹ペコで気が狂いそうなの。」
「・・・そうか、遅れてすまなかった。」
「あなたを家に招いた理由、わかる?」
シオリはユキオの向かいの椅子に座りながら尋ねた。
「それはわからないよ。僕が今言えることは・・遅れてすまなかったってことだけ。」
「例の契約の件よ。」
その言葉を聞いたユキオは、ニヤリと笑った。
「長年続く我社の歴史で、あの会社から契約を取って来たのはあなたが初めてよ。そのトリックを聞かせてもらおうと思って。」
そう言いながら、シオリは2つのグラスにワインを注ぎ、ユキオに向かってかかげた。
ユキオはもう一つのグラスを受け取ると、静かにグラスを突き合わせた。
「・・・遅れてすまなかった。」
グラスがぶつかり合う音が、部屋の中に響く。
「じきに私は転勤でこの場所を離れるわ。」
「だったら、今日は契約のことなんて忘れよう。」
「・・・そうかもね。じゃあどんな話で、私をその気にさせてくれる?」
「そうだな。・・・今日ボクがここに来るのに遅れて、すまなかったと思っている話はどう?」
「っふ・・。面白そう。話して?」
「・・・・お、」
「・・・・なんですって?」
「遅れて・・・すまなかった。」
「どうせ口だけでしょ?」
「いや。遅れてすまなかったよ。」
シオリはその言葉を聞くと、ニヤリと笑って、リップグロスを塗り直した。
「あなたが遅れてる時、私はこう思ったの。」
「なんて?」
「あの人、遅れてるなって。」
「どれくらい遅れたかな?ここに来るのに。」
「待ち合わせは15時だったはずだから、2時間は遅れたはずよ。」
「・・・遅れてすまなかった。」
「初めてだったわ。2時間も遅れられたの。」
「嘘ばっかり。きっと今までにもいたんでしょ?君との待ち合わせに、遅れた男。」
シオリはもう一度、リップグロスを塗り直した。
「待たされた気分はどう?」
「・・・悪くないわね。もっと遅れてもよかったぐらい。」
二人はオードブルをテーブルの上から放り投げると、激しく求めあった。
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