(過去記事再録)諏訪哲史講演「偏愛蔵書室、文学の舶来幻術師-日影丈吉」@町田市民文学館ことばらんど

http://tanemuramemo.hatenablog.com/entry/2015/11/17/220310

12月20日まで町田市民文学館ことばらんどで開催中の「没後25年 日影丈吉と雑誌宝石の作家たち」展の関連イベントとして11月15日に諏訪哲史の講演会が開催された。諏訪は國學院大學で種村の教え子であり、第137回芥川賞を受賞したデビュー作『アサッテの人』は種村に捧げられている。

日影については、幻想文学・純文学的な作品と通俗的な作品を並行して手がける両面性、志賀直哉や梶井基次郎の影響(特に晩年)、宮崎駿作品との共通点、人生にシナリオをつくらない執着心のなさといった視点で論じられたが、来年諏訪編による選集の出版企画があり解説で詳細に論じられると思うので、ここでは種村と関わりのある話題のみを簡単にまとめておく。

種村は『日本怪談集』で「ひこばえ」を選んでいるが、一番好きな作品は「吉備津の釜」だったのではないかという指摘。これについては『日本怪談集』の編集に協力した高遠弘美が来場しており、講演終了後に「編集会議で種村から「吉備津の釜」と「ひこばえ」とどちらがいいだろうか聞かれた」という証言が得られた。

日影の正体のわからなさについて。種村が自らの怪人性・詐欺師性を自覚しており「正体なんてない」というところから出発しているのに対し、日影は自分自身でも自分がわからないというようなところがあったのではないか。

『日影丈吉選集V 崩壊』(河出書房新社)の解説に書かれているエピソードについて。

前記の泉鏡花賞受賞パーティーの帰途のことだ。一緒になった古手の編集者が耳元にささやいた。「種村さん、あれは(と当日の主賓の温顔を思い起させながら)……犯罪者の顔ですよ」

これは種村の創作で種村自身が 日影の顔を犯罪者のようだと思ったのではないかと推測。

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