「正解」って、ほんとにあるの?
「これからは『正解』のない時代」とよく見聞きする。とすると、今までは「正解」はあったの?という疑問がわく。「正解」ってなんだろう?辞書を引いてみた。
ア 正しく回答すること。正しく解釈すること。または、その解答や解釈 例「正解を出す」
イ 結果的には良かったと思われること。 例「傘を持って出たのは正解だった」
次に、「正しい」を辞書で引いてみた。「道理にかなっている」「事実に合っている」「正確である」「道徳・法律・作法などにかなっている」「規範や規準に対して乱れたところがない」という意味。次のような疑問が生まれた。
世の中に「正解」は本当にあるのか?「正解」は誰かがつくったものではないか。特に、権威のある者がつくり出したものなのでは?
A:1 + 1 = 2
B:1 + 1 =10
Aは10進法、Bは2進法で計算している。なぜ答えが違うか?それは前提が違うから。扱っている世界が違う。みんなが前提が同じならば正解は1つ。前提がバラバラだったら正解は無限にあるかもしれない。
「正解」があるということは、誰かが前提をつくり、揃えようとしたということになる。時代を経るに従い、前提が多様になればなるほど、答えは無限に存在することになる。もし、「正解は一つ!」「これが正しい!」と強調されるならば、先述した「同調」がはたらく。
世の中を支配したければ、「正解」という名の元に「同調」を生み、正解でないものを吸収、排除を進めるに違いない。
極論かもしれないが、「正解」はフィクションであるは言い過ぎ?
次回は、この作り出された「正解」が圧力をかける「正解圧力」について私見を述べます。
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