見出し画像

私の嫉妬その9:字が大人

「字書くの、下手くそだよね」

字の下手さを散々指摘されてきた人生だった。いわゆるミミズの這った字というよりも、子どもっぽい字とでもいえばいいだろうか。昔から汚いといわれてきたので、小1くらいから字の成長はしていないのかもしれない。

子どものころからコンプレックスではあった。しかし、学校というのは不思議な空間で、字が汚いことはひとつの個性あるいはキャラ付けともなり、小中高の間は字が汚いキャラとして定着していた。ノートを貸しては汚いと言われ、算数や数学の検算を見せては汚いと言われ、メモ書きを見られては「後で読み返せるの?」と言われる。それで印象に残ってもらえるならまぁいいかと過ごしていたが、本音では周囲の意見が気になっていた。達筆とまでいかなくても、まとまりがあって他人が読めるレベルの大人な字が書きたかった。そう思いつつも字は改善されず、悩みは解決しなかったが、実生活で困ることはなかった。

字のことで困るようになったのは大学生になってからだ。

というのも、人前で字を書く機会が圧倒的に増えたことが半分、半人前ながらも大人として見られるようになったことが半分ある。市役所やバイト先、大学の事務などで不意打ち的に字を書かされるとき、私は狼狽えてしまう。半人前でも大人が汚い字を書くわけにはいかない。きちんとせねば。とくに個別指導塾や家庭教師のバイトでは子どもが相手なので尚更大人感を出さねばならず、図や式を書いて指導するときに苦労した。

なんの前準備もなく、一発本番で大人な字を書けるのは羨ましくてたまらず、自分の矮小な字と比較して嫉妬してしまう。ちなみに、字が汚いに加えて漢字もあまり書けないのだが、そこはあまり嫉妬しないので不思議だ(たぶん自分のせいだという自覚が強いのだと思う)。

字が子どもっぽくて困ったり、他人を羨む場面は色々あるが、一番はメモを取るというシーンである。

メモなので自分が後で読み返して理解できればいいのだが、脇で人に見られていると非常に緊張してしまう。大学院での研究ミーティングでは目の前に先生がいて、こちらがメモを取っている様子を見ている(と感じている)ため萎縮してしまい、身体がカッと熱くなり、頭が真っ白になってしまう。会社の新人研修でも、メモを取っている姿を見られたくなく、端っこに隠れたり、人より早くメモを切り上げたり、手元見てませんよ~だから汚いんですよ~という感じで書いたりと要らない工夫をしていた。

字が子どもっぽい原因はわかっている。丁寧さの欠落と書き順のあいまいさだ。丁寧さはなるべく気を使っているつもりなのだが、それでも人よりは足らない。メモのときなぞ、最低限の丁寧さすらまったく欠落している。一般的に、成長していく過程で人間は自然と最低限の丁寧さを身につけていくものだと思う。私はそれを育む配慮も努力もすることなく、今の今まで育ってしまった。まっすぐ成長できた人間が妬ましい。

今から何とかしようという気がないわけでもない。真っ白な欄を見るたびに丁寧に大人な字を書こう、と気を引き締めている。それでも、ふとした拍子に気が抜けてしまう。

会社を辞めた今、手書きで字を書く機会も少なくなったが、私の字は成人できるだろうか。

ブログとはまた違ったテイストです。