自民党憲法改正草案再読(20)

(現行憲法)
第29条
1 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
(改正草案)
第29条(財産権)
1 財産権は、保障する。
2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。
3 私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。

 国は「侵してはならない」を、改憲草案は「保障する」と抽象的に言い換えている。
 第二項の「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と書き直している。そのうえで、「知的財産権」について追加している。「知的財産権」にはいろいろある。私がやっていることの関係で言えば「著作権」も知的財産権である。そして、その「著作」には、たとえば「政府批判の論文」とか「わいせつ小説」というようなものもある。しかし、改憲草案は、「政府批判の論文」や「わいせつ小説」を「知的財産権」とも「知的想像力」とも考えていないだろう。「政府批判の論文」や「わいせつ小説」は「公益」にも「(政府の考える)公の秩序」にも貢献しない。
 改憲草案は「国民の知的創造力の向上に資するよう」と書いているが、私には、自民党がほんとうに「国民の知的創造力の向上」を考えているとは思えない。どうしても「前文」のことばが思い浮かぶ。「教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」。改憲草案のいう「知的財産権」とはたとえば「科学技術」であり、それは「国の経済活動に役立てるものでなければならない」、国はだれかが発明した技術(知的財産)を「国民のため」という名目で「利用し」、その結果として「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」ということをもくろんでいるのだろう。だからこそ、わざわざ「知的財産権」を特別視しているのだ。
 第三項の「公共」は現行憲法は「公共の福祉」の略であることは、いままでの「公共の福祉」のつかい方から定義できるだろう。
 改憲草案の「公共」は何を意味するか。「公共の福祉」ではないはずだ。これまで改憲草案は「公共の福祉」ということばをつかってきたことがない。ここは「公益及び公の秩序」と書き直すのを失念したのだろう。現行憲法が「公共の福祉」の「福祉」を省略しているために、その省略に気がつかなかったのだ。
 で、第三項では「私有財産」に触れるのだが、この「私有財産」とは何だろうか。何を具体的なもものとして改憲草案はイメージしているのか。私は、最近の動きから想像するのだが、「土地」を指していると思う。今国会で「重要土地利用規制法」が成立した。「安全保障にとって重要な施設周辺の土地取引に調査や規制できる」という内容だが、国が「政府の利益」「政府の望む秩序」を実現するためには、私有財産である「土地」の売買を規制できる。国が買い上げることを、国民は拒否できない、というもの。「安全保障」を名目に、国は金さえ払えば、国民の土地を自由にできる。
 何度でも書くが、自民党の政策は、改憲草案の先取り実施である。「重要土地利用規制法」は、第29条第三項の「先取り」なのである。憲法を改正しなくても、実質的に、改憲したのと同じことが「重要土地利用規制法」によってできるのである。
 「安全保障施設」というのは、「公共の福祉」とは関係がない。「公共」をつかったのは、ぼんやりしているとしか見えないが。

(現行憲法)
第30条
 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
(改憲草案)
第30条(納税の義務)
 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。

 これは改正のしようがなかったらしい。

 国民の義務は、①教育、②勤労、③納税の三つ。
 私はこの現行憲法の順序は非常に重要だと思う。(改憲草案がそれをそのまま踏襲しているのは、不思議だ。)
 なぜこの順序なのか。教育=学問がなくては、人間は何をすべきなのかわからない。何をすべきかを知るためには教育(学ぶ)ことが必要なのである。そして、学んだことを利用して「働く(勤労)」。働くためには、働くための「教育」が必要である。そして、その働いていることをただ単に「歯車」となって働くのではなく、働きながら労働をかえていく、つまり新しいものをつくりだしていくためにも「教育=批判」が必要なのである。社会をかえていくのは「批判=学問」である。社会が成長し、成熟するためには「教育」は不可欠なのだ。教育こそが「基盤」なのだ。
 改正草案第29条第二項に「知的財産権」が出てきたが、「知」こそが社会にとって必要なのだ。ただし、自民党が考えているように「公益及び公の秩序」のためではないし、「経済成長」のためでもない。時には「政権を否定する(革命する)」ためにも「知」は必要なのである。教育が重要なのである。
 納税は、所得を「公共の福祉」に還元するためのものである。所得の再配分によって「公共の福祉」が実現する。「みんなで助け合う」とは、あからさまに言えば「所得の再配分」によって「階級的差別」を解消するということである。
 しかし、この「所得の再配分=納税」という観点から見ると、改憲草案は、とてもずるい。何も変更をくわえていないが、その変更をくわえていないところに問題がある。いま現在起きているいちばんの「納税」問題は、法人税が低いということである。「消費税」が「法人税引き下げ(法人税の穴埋め)」につかわれているということである。法人税が低くおさえられているというのは、言い方を変えれば、「所得の再配分」が適正に行われていない、企業が優先されているということである。
 「第三章」は「国民」がテーマ。「国民」に「企業」を含めるかどうかはむずかしい。法律的には「企業」は「ひと」ではないから、「国民」に含めないということなのかもしれないが、いま起きている「公益及び公の秩序」からみると、「企業」を優遇するかわりに、企業から膨大な献金を受け取るという形で「公益及び公の秩序」が実現されていることになる。第三項に「企業」を書き込まない(含めない)ことによって、自民党は、国民からどんどん税金をしぼりとり、企業を優先しようとしている。そのために「納税の義務」という文言をそのまま利用していると考えてみるべきかもしれない。


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