自民党憲法改正草案再読(22)

(現行憲法)
第36条
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
(改正草案)
第36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。

 改憲草案では、現行憲法の「絶対に」が削除されている。もしかすると、「拷問及び残虐な刑罰」が行われるかもしれない。「絶対に」がなくなったのだから、可能、と判断することがあるかもしれない。ことばは常に何かと対比することで「意味」が確定する。「絶対に」が削除されたのだから、してもいいのだ、と判断するおそれがある。
 憲法は権力を拘束するものである。「絶対に」が削除されたのだから、「禁止は絶対ではない」と主張する根拠を、権力に与えてはいけない。
 しかし、どういう条件のときに「公務員による拷問及び残虐な刑罰」が許されるのか。「公務員」という主語を手がかりにすれば、「公益及び公の秩序に反する」と「公務員」が判断したときだろう。「公」が判断したときだろう。そして、このとき「公」とは「公共」ではない。あくまでも「権力が考える公」、言いなおすと「権力」である。既に菅は、政府方針に異議のある人(公務員)は移動(左遷)させると明言している。権力の「いいなり」になっている「公務員」が「権力の意向に反する(=公益及び公の秩序に反する)」と判断すれば「拷問及び残虐な刑罰」は許されるのである。
 これはいま「犯罪者」以外に対して行われていることに当てはまるかもしれない。「拷問/刑罰」ではないが、機動隊がデモを必要以上に規制したり、選挙演説へのヤジを力ずくで排除するということが行われているのをみると、「絶対に」の削除は大きな影響を与えると思う。
 また、「これを」というテーマの提示は、ここでも変更されている。テーマ隠しが改憲草案の大きな狙いである。「このテーマについて考えよう」という姿勢がないのだ。

(現行憲法)
第37条
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
(改憲草案)
第37条(刑事被告人の権利)
1 全て刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 被告人は、全ての証人に対して審問する機会を十分に与えられる権利及び公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを付する。

 この条項では、「及び」のつかい方が奇妙である。これまでみてきたように、改憲草案の「及び」は「イコール」である。「公益及び公の秩序」は「公益=公の秩序」であり、それはともに権力にとっての利益、権力が考える秩序である。権力の考える秩序そのものが、権力の利益である。権力の考える秩序にしたがって国民が行動する限り、権力批判、権力否定(革命)は起きないからである。
 現行憲法が「又、」と別のものであと定義していることを「ひとつ」のこと、イコールで結ばれたものというところから逆に見ていくと、前の方に出てくる「全ての証人」は「公費で求めた証人」に言い換えられるかもしれない。「公費(権力)が認めた証人」に対して審問する権利するは認めるが、権力が認めない証人(被告人、弁護人が探し出してきた証人)は認めないということが起きるかもしれない。
 こういうことは「刑事事件の裁判」ではないが、実際に、何度も起きている。野党が国会で、ある人の「証人喚問」を求める。しかし、政府、自民党がそれを認めない。そのために、国民の多くの知りたいと思っていることが不明のままになる。森友学園問題の佐川がその代表例である。政府の考える「公益及び公の秩序」に反することが明らかになると判断した場合、「証人」は採用されないのだ。採用される証人は、政府が認定した人間だけなのだ。前川、鴻池が国会に証人喚問されても、佐川、安倍安恵が証人喚問されない例を見ると、そう考えてしまう。裁判と国会は別のものではあるけれど。権力にとって「都合のいい」証人だけが、きっと集められることになる。
 「刑事事件」ではなく、民事事件、国の姿勢が問われる裁判では、特にそうなるだろう。「刑事事件」の被告に関する条項だから(自分は刑事事件の被告になる可能性はないから)という理由で見逃してはいけないものがあるように思う。前回(5年前)、改憲草案について考えたとき、私は「刑事事件か、犯罪さえ犯さなければ自分には関係ないなあ」と思い、読みとばしていた。
 憲法はあらゆる法律の大本である。その変化は、形を変えながら現実に反映されていくし、改憲草案を先取りする形で権力が動いていることに注目すべきだと思う。

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