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『 ハマコーと父 』

ハマコー こと、浜田幸一 元衆議院議員(故)は

いい意味でも、悪い意味でも、有名な人物である。

日本人で、知らない人はほとんどいないだろう。

本人が、そのことを隠さずに本に書いてもあるので

遠慮なく、僕も書かせてもらうが

ハマコーは、もとはヤクザだった。

しかも、それは父と同じ稲川会である。(当時の名称は、稲川組かもしれない)

そして、同じ 横浜の山田一家(山田時造)で

父とハマコーは、兄弟分でもあったのだ。

実は父は、20代の頃、一度結婚をしていて

そのときの"仲人"がハマコーだった。

真ん中の新郎が、父 中村宏(猪鼻宏)、その隣りが若き日のハマコー(浜田幸一)である。
当時の写真をiPhoneで撮っただけなので、わかりづらいが、ハマコーはこの頃から"悪そう"な顔をしている。

こちらのご令嬢と、結婚式までしたのだが、

結局、その後は"籍"も入れずに別れてしまったらしい。

やはり、極道とご令嬢では無理があったのだろうか。(詳しいことはわからない)

ちなみに、ハマコーの膝の上に座ってるのが、

この写真を渡してくれた、従兄弟の浩行である。

いつかは、僕に渡そうと思っていたのらしいが

一昨年の、伯父の葬儀のときに

「これはヤスが持っておけ」と渡された。

母(喜美恵)との前に、結婚した相手との写真だから

渡すのをずっと迷っていたらしい。

ハマコーは、山田一家でも目立つ存在で、

稲川聖城 大親分の、カバン持ちや、付き人をしていたらしい。

だが、大親分からの勧めもあって、極道から

"足を洗い"、政治の世界へ行くこととなる。

1969年に、衆議院議員に初当選すると

ときを同じくして、父はハマコーの地盤でもある

富津で、山田一家傘下の組長となるのであった。

なんとも不思議な"縁"である。

少し補足をすると、早川組組長、早川二郎は

木更津の出身で、富津の親分、山下己之吉から

跡目を継いだ。

そのシマを預かったのが、父である。(他にも、もう一人いたらしい)

こうして、横浜から富津へ行くことになったわけだ。

父としては、大きな"出世"である。

その後の、父とハマコーの関係はわからないが

おそらく、少なからず"付き合い"はあったのだろうと思う。


追伸 僕が20代の頃、ハマコーと何度か会う機会があり、

父のことを言おうと思ったが、結局は口にしなかった。

若き日の父。息子が言うのもなんだが、イケメンである。
ハマコーより、父の方が議員に見えなくもない。

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