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『 強行オペ 』

朝、5時か6時頃、いきなり診察室に呼ばれた。

若い医師から、「このままだと、死を待つだけになってしまうから、強行でオペしませんか。」

と、問われた。

破裂した、脳動脈瘤の根元をクリップで止める手術なのだが

アタマの中に、大量の出血があるから上手くいくからわからない…。

ただ、今、出血箇所が止まっているから

やるのなら、今しかありません。と言われた。

僕と妹は、即答で「お願いします」と言った。

先生は、「まず、前提として助からないことは覚悟していてください。

仮に助かったとしても、相当な後遺症、例えば、半身麻痺などが残ります。

それでも、やる価値はあります。」と

丁寧な説明をしてくれた。

そして、そのまま緊急手術として、オペが始まった。

何時間待ったのかは覚えていないが

主治医がオペ室から出てきて

なんとか、一命はとりとめました。

後日、検査をしてからですが、

脳動脈瘤になんとか、クリップをかけられたと思います。

今すぐ、どうということはありませんから安心してください。

と、言った。

僕と妹は、信じられないような軌跡を見てるようだった。

母はそのまま、脳外科のリカバリー室と言うところに運ばれて

僕が付き添いをすることになった。

翌日から、脳外科のベッドに変わり、意識も戻った。

人工呼吸器をつけていたから、話すことはできないが

母が、現状を知りたがっていたので

妹と話し合い、「あのね、お母さんはお風呂場で転んで、アタマを深く切ったから、手術をしたんだよ。」

と、嘘をついた。

母は、それで納得したようだった。

回復が早かったので

翌日、人工呼吸器を外した。

飲み物なども、少しづつ飲めるようになったのだが

その日の夜に、急変し、また急いで人工呼吸器をつけることになった。

当直医師の、人工呼吸器装着が、なかなかうまくいかず

かなり危険な状態になった。

僕と妹は、ただただ、両手を胸の前で組み

祈ることしかできなかった。

なんとか、人工呼吸器は通すことができ

しばらく、予断を許さないこう着状態が続いた。

翌日、目を覚ました母は飲み物を欲しがったが

人工呼吸器をつけてる間は無理なので

できるだけ、話しかけるようにして、母の気持ちを紛らわした。

母は、あいうえおが書いてあるパネルを指さして答えた。

それから、二日ほど経って、容態が落ち着いたので

呼吸器を外し、また一般病棟に移動することになった。

まずは、第一段階を越えたことに安堵をした   

つづく

若き日の母の写真。おそらく成人式か何かだと思う。

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