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私の光る君へ9

 『光る君』第9話「遠くの国」は、悪い予感が当たってしまうのが、あれよ~あれよ~と怖くて、うそぉーだめでしょぉーと、思ううちに、道長とまひろが、直秀さんを埋葬してました。せっかく魅力的な人物設定のイケメン・毎熊・直秀さんが3月初めに消えてしまうというのは、赤染衛門ならずとも残念・無念です。
 私としては、平安時代には「袴垂」のような、義賊の伝説もあるので、毎熊さんが素敵で、そういう話になるのかなぁ~と期待していたので、予想外れになってしまいました。素敵な打毬姿をみたばかりなのに。これから「庶民のつらさ」を誰が語ってくれるのでしょう(号泣)
 道長様は、病床の父の枕もとで自分の影を見入ります。とても意味深です。娘の夫君である先帝に毒を盛り、現帝の子を宿した女御をその胎児ごと葬った父。恋しいまひろの母を殺した兄。仲良しのつもりの散楽の皆を死地に追いやった自分。忌まわしい家系を感じているのでしょう。
 鳥辺野での「みな!すまない!」という言い方には、将来「為政者」として、国を導く立場に立つであろう、資質が隠された演技だと思います。
 
 呆然と、ドラマ終わりの、国語便覧の授業のような「散楽」の解説を、遠ーーい気持ちで見ていたら、なぜかはっと気が付いたのです。
 遠流(おんる)=流罪というのは、今から千年前のあらゆる法的制度がなきに等しい時代にあっては、貴族というごく少数の人々にのみ許された「権利」だったのかもしれない、と。
 私のイチオシ「隆家様」が流罪になるのも、並外れた家柄に支えられてのことだったのかもしれない。平安末になると、天皇や上皇をずいぶん遠流にしてますよね。高貴な血脈を「畏れる心」は、庶民の命は木の葉同様軽い、ということと、表裏一体で、平安時代そのものが「遠くの国」なのだ~と、はっと気づいた次第です(号泣)←木の葉の子孫として・・・・・
 
 まひろは、私とは違って、平安時代という、あらゆる人にとって、生と死が無惨な程に表裏一体が身に沁みていますから、立ち直りが早いです。でも、心のうちに直秀の無惨な死に目を抱きつつ、弟の「大学寮入寮」を送り出しています。
 とても有名であるところの、父・為時からの「お前が男だったら〜」に対して、「私が男だったら、勉学を積んで内裏に上がり、世を正してみせます!」と、頼もしい、紫式部にふさわしい、言葉を言ってくれます。カッコイイ!!
 為時パパが、息子・藤原惟規に言う四文字熟語、どうしても気になって再生して書き留めました。私は時々意外な事が気になるタイプです。
 一念通天。率先垂範。温故知新。独学孤陋。なるほど、新入学にふさわしいお言葉ですね~参考になります。使えるかもしれません。

 予告画面で分かる通り、いよいよ、やっと、「花山天皇の退位」のようです。『大鏡』の表現、特に後半部分で、
➖引用➖(補助および私見)
 (東三条殿・藤原兼家は)さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどは隠れて、堤の辺よりぞうち出で参りける。
 寺などにては、「もし、おして人などやなし奉る。」(道兼が天皇側から無理に出家させられたら困る…というのは後付け…)とて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守リ申しける
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と、書いたのですから、道長が信用できないと言った、東三条殿の武士団を使った軍事クーデターです。
 娘・詮子(演・吉田羊)の怨念のささやきに、がばっと起きた段田・兼家、この父娘の場面笑えますが、すぐに笑っていられないクーデター計画ミーティングになりましたね。三人の息子の対応が、歴史に描かれた人物像ほぼそのまま。道長もやっと運命を受け留めて、家族の全体を見つめ始めたようで、道兼をぶん殴っていた頃より、考えて行動しようとするのか、家族の間では無口です。
 予告編を見ていたら、クーデター場面に交じって、暗いのではっきりとは見えないものの、道長とまひろのラブシーン?!?!えっ!?平安時代ですからね~まあまあ自由とはいえ、ソウルメートって、プラトニックってことじゃないのぉ~~
 で、祇園祭の「保昌山」で知られる、勇猛比類なき藤原保昌様が次回登場かと、気になって、大河・人間関係図を見たら「いない」ですっ。その妻のかの有名な「和泉式部」も「いない」ですっ。
 京都の皆さん、下京区東洞院上ル燈籠町の皆さん、今年は大河で気合が入っていると思いますが、もし出なかったら、NHKにクレームを出すべきです。


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