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私の光る君へ〜大河「光る君へ」36話・待ち望まれた日・雑感〜見逃した方もどうぞ

1008年 桜舞い、式部は執筆。
 中宮様は読書中。講義をさぼった敦康親王が声かける。
 宮の宣旨が「荷葉の香」(爽やかな香らしい)をお持ちすると、中宮に悪阻の症状。
 道長が、内裏から急いで、(赤染衛門から中宮と式部の話を聞いている)倫子の下へ走って来る。彰子中宮懐妊。
 藤壺の女房達も、安堵の空気。
~タイトル~
 中宮の髪を整える女房達。そこへ、呼ばれた式部がやって来る。「そなたたちは下がれ」と中宮が言う。
 (帝が祝いの帯を贈れと命じる様子。感慨深そう…)
 中宮は式部から、漢籍を学びたいと言う。特に帝と式部の初対面に縁の、白居易の『新楽府』を、内緒でと。帝を驚かせたいと言うのだ。
【「亡き皇后様は漢籍もお得意で…」の言葉が切ない。自らの幸運が、誰かの不運の上にあることを悟っていただろう、彰子も定子も悲しくも立派。】
 講義が始まる。『新楽府』七徳舞の一節。
「政の頂にある者が、人々の心をつかむのは並大抵なことではございませぬ。」
【彰子はこうして儒教的倫理観を学び、式部は藤壺で孤立と推察。】

 
 F4飲み会。
 斉信「皇子なら道長は盤石」
 公任「ややこしいことになる…敦康親王の貢献を辞めたらどうなる?」
 行成「そのようなことをなさる道長様でございませぬ」と渡した皿を受けても床に置き、そっぽを向く道長。
「次の東宮の話は、帝が位を降りる話…この話はやめ、やめ。」
【闇落ち!?とても真面目な行成は、今後も道長の為に立ち働く。】

2月9日 花山院崩御。
 それを伯父である東宮傳・道綱から聞く、居貞親王(三条帝)・花山院の異母弟。父帝・冷泉天皇の血が皇統から絶えると、不安を覚えている。彰子の子が女子であればと言うところへ、なかなか粗野な敦明親王が現れる。【この皇子、今後どう生きていくのかな?!】※粗野=伏線

4月13日、出産の為、中宮は実家の土御門邸に下がる。
 その前に、敦康親王としばしの別れの挨拶。
「私は中宮様の子ではございません。本当の子が生まれたなら、その子の方がいとおしうなるのは道理です。」
「親王様が幼子であられた時から、私は親王様とここで生きてまいりました。帝のお渡りもない頃から、親王様だけが私のそばにいてくださいました。今後も、私のそばにいてください。子が生まれても、親王様の御心を裏切るようなことはいたしませぬ。」

【彰子ここまで言った以上、後のドラマ展開は、道長と彰子の父子対立がありえる?!】

土御門邸。
 北の方・倫子自らが式部を、用意した個室に案内。
 彰子が見違えるほど明るくなったこと。帝の御心をとらえるような物語を書いたこと。中宮の苦しさを救ってくれたこと。
 倫子から丁寧に礼を言われ、恐縮する式部。
 土御門邸でも、漢籍の講義。
「人の心の好悪ははなはだ常ならず 好めば毛羽を生じ憎めば瑕を生ず」
 そのうち帝に瑕を探されるのかと憂う彰子に、瑕はその人の宝、瑕こそが人をその人たらしめるもの、と教える式部。
 そこへ道長が、彰子の弟妹達を連れて現れる。(謎)
 彰子は、式部を自分の「先生」として、弟妹に紹介する。
 廊下では、左衛門の内侍が赤染衛門に、式部への嫉妬を口にし、さらに藤壺の式部の局に道長がよく現れて、親密だったと、告げ口。

5月25日 定子が命と引き換えに産んだ、第二内親王媄子が9歳で薨去。
 叔父・伊周の下に、お悔やみに来た清少納言。伊周から、藤式部の物語の力による、藤壺の栄華を聞き、その物語を読んでみたいと申し出る。
【藤式部が、前越前守の娘と聞いて、驚愕の納言の顔が怖い…どうなる?!】

 6月頃か…内裏。行成が道長に、彰子出産の公式記録を行う、役人たちを紹介。
 土御門邸の式部の私室。内裏から戻り、衣冠束帯のままの道長は、式部にも彰子出産の記録を依頼する。
「中宮様のハレの場を、後に続く娘たちにも役立つように残したいのだ。」
【えぇっー、それが紫式部日記なら、さっきゾロゾロ彰子の弟妹を連れてきたのは、そういう意味なの?!かつてでも何でも恋愛関係にあった女への所業として、ひどすぎる‼式部は便利な女?!ソウルメートって何?!】

(闇に呼びこまれる伊周)
 夏、苦しそうな彰子。
 亡き定子をはじめ、お産で亡くなる例は珍しくない時代。
 不安がる彰子に、式部は自分も不安だったと話し、母倫子を呼ぼうとするが、彰子はそなたがおればよいと言う。

9月9日 重陽の節句 式部の脇卓に菊綿
     夜半より産気づく彰子。(30時間にも及ぶ難産…)
9月11日 必見‼資料映像として残すべき寄坐の演技‼
 道長が「どうかお鎮まり下さい」と平服した時に響く産声。(いい演出~)
 道長の顔半分で明暗を分ける、照明効果。

  (右大臣顕光、大納言道綱が登場し、庭先で祈りに参加。)
  (伊周ぁ呪詛は諦めてー)
「皇子様」と聞いて皆に知らせる、嫡男頼通。BGMは…聖歌。
【邪気払いの米。産科どころか、医療がなかった時代のお産…ラマーズ法が日本に入ってのは1960年頃…】

9月15日 祝いの歌の準備・紫式部
めずらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代もめぐらめ
(素晴らしい中宮様に輝くような皇子様までお生まれになって、この杯は光に満たされたまま千代をも巡るでしょう。)

 いつの間にか現れ、歌を聞き、褒め、共に月を見る道長。(危ないぞ式部)

 高松殿・明子は、道長が兄・源俊賢を介した「子等を政争の具に使うな」という、願いを聞き入れるつもりがない。「うちの寛子」姫の運命は…

10月16日
 彰子と新宮・敦成を見舞う為、帝は土御門邸に行幸。同日親王宣下。

11月1日 新宮、五十の儀(お食い初め)。
 「陪膳」役は、道長の異母兄・大納言道綱、張り切って膳を見せている。
 
 無礼講で男女ごちゃごちゃの大騒ぎ。
 隆家は女房を口説き、顕光は酔って几帳毎女房達の方へ倒れこみ、実資は大納言の君の襲の衣を数えている。
(公任の「若紫やいずれにさぶらふ」はイメージが違いすぎ…)
 道長が藤式部に歌を詠め~と言う。
いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば 
(どのようにして若宮の長い御代を数えたらよろしいのでしょうか) 
 調子に乗った道長、あうんの呼吸の返歌↓
あしたづの 齢しあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ
(葦の中の鶴ほどの寿命があれば君の長い御代も数え取ってみせましょう) 
少し前から不快な顔をしていた倫子がぷいっと席を立つ。道長が慌ててそれを追う。
【あうんの呼吸で歌など詠むから、倫子に、二人の関係ばれちゃった?!】
違います‼それは倫子に失礼‼


こちらが本当の理由‼上手く返歌できたと自惚れた道長の放言↓
「宮の御父にてまろ悪ろからず、まろがむすめにて宮悪ろくおはしまさず。
 母もまた幸ひありと思ひて、笑ひたまふめり。
 良い夫は持たりかし、と思ひたんめり」
宮=中宮彰子、まろ=道長、母=倫子、

【道長の強運を、長期政権に結び付けたのは、倫子の財力。結婚の時から、身分も倫子の方が高い。平安時代の一上の妻であれば、ハレの席で嫉妬は表せない。道長の有頂天が、ある意味恐ろしく、釘を刺したかったのではと私は思う。当時の倫理では黙殺の不倫を見て喜ぶ現代人、源氏物語のあはれ=紫式部の心底を考えてほしい。】

 まひろは赤染衛門に呼び止められ、道長との関係を問われて、どう答えるのか、は次回。


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