優等生

僕は、優等生だった。

小学生の頃は激しく怒られたこともまともにないまま6年間を終えた。(れんらくちょうはまともに書かなかったし、置き勉もしてたけど。)

中学生の頃は生徒会も応援団長も他にもいろいろ手を出して、自分で言うのもなんだけど、客観的に見て中心人物で人気者で優等生。

高校生の頃は部長をやったり文化祭で主役になったり、これまた客観的に人気者ではあったと思う。

真面目に生きると、結果が出ると、褒めてもらえる。人気が出る。友達が増える。味方が増える。それが嬉しかった。

僕は、優等生だった。

僕は、よく初めて会った人やそこまで親しくない人に「真面目そう」とか「頭が良さそう」と言われる。実際自分でも自分のことを真面目で、知的な方の人間だとは思っていた。

でも、大学受験に本腰入れだした高3の11月(今考えるととても遅い)、自分に対する自己評価が大きく変わった。

僕は、優等生でいられなくなった。

受験というものは、ひたすら自分との戦いだった。誰からも評価されることなく、2月に向かって結果の出ない戦いが続いた。

誰からも見てもらえない、褒めてもらえないことがこんなに辛いと思わなかった。だから、がんばれなかった。成績は上がらなかった。判定が上がっていく友達の横で、いつも変わらないEの文字をぼんやり眺めた。

浪人している今もそうだ。当たり前だけど、誰からも褒められないどころか注目もされない。たまに同級生の間で話題になるかもしれないけど、それは過去の木村文哉の話であって、現在と未来のことにスポットは当たっていない。だから、がんばれてない。

人生ではじめて、「がんばれない」期間がやって来た。人生ではじめて、「優等生じゃない」期間がやってきた。

夏が終わって、もう9月になった。推薦入試が始まった高校生もいるだろう。その中でも、僕はがんばれない。

先週、自分の誕生日だった。19歳になった。本当なら大学生になっている年齢だった。年をとるのが、人生で一番嫌だった。その日、高校の友達が会ってくれることになった。正直、僕はどん底だった。

そして当日、結果ひっくり返るほど楽しかった。

過去のことを話して、未来のことを話して、バカにしあって、くだらない下ネタも久しぶりに言った。

久しぶりに人間らしい生活をした気がした。


友達は、友達のままでいてくれた。

模試の偏差値が上がらない僕を、

頭の色が抜けてだらしなくなった僕を、

もうがんばれなくなった僕を、

変わらず認めてくれた。




帰り道、

僕は、優等生をやめた。



僕は、優等生だった。


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