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晩茶と塩

茶と塩味のせんべいはよく合うが、茶に塩を入れて飲む人は少ないだろう。しかし江戸時代に遡れば、茶を煎じる際に塩を入れる事は珍しくなかった。塩は煎じ茶の味をまろやかにするからだ。中川到之の研究によれば0.05%の食塩水で茶を抽出すれば、渋みが1割ほど減じる事がわかっている。
◎O-CHA学1号 第2章 お茶と塩の科学的関係について/中川到之

江戸後期の俳人 成田蒼虬が茶と塩にまつわる句を残している。

『江戸のお茶 ー俳諧 茶の歳時記』より抜粋

茶に塩のたらぬ朝也はつしぐれ 蒼虬(蒼虬句集)
(中略)
蒼虬の「はつしぐれ」の句は、朝茶に限らず茶には塩を入れて飲んだことを示しているが、塩が足ず味も思わしくない朝茶の不満がしぐれ模様の空へのうとましい思いと重ね合わされている。

茶に塩を入れて味を調える慣習は中国唐代の人だった陸羽の『茶経』にも出てくるものだが、江戸 時代には貝原益軒『養生訓』の中で「塩を入れてのむべからず」と言わなければならないほど普通の飲み方だった。それを茶筅で泡立てて飲んだのである。
(山田新一『江戸のお茶 ー俳諧 茶の歳時記』八坂書房、2007年)

ぼてぼて茶やバタバタ茶などの振り茶にも塩は欠かせない。塩を入れることで泡が立ちやすくなる。

本朝食鑑(1697年)の「茶」の項にも以下のような記述がある。

 「空心(すきばら)に茶を飲み、塩を加えれば、直ちに腎経に入り、且つ脾胃を冷やすので、賊を空家(るすたく)に引き入れるようなものである」ともいわれていた。ところで近時は、 このような言葉と悉く違い、習俗は、害を受けるようなことをしている。ただ婦嫗(おんな)ばかりではなく、壮夫(おとこ)・老翁(としより)も皆、毎朝空心(すきばら)に塩を入れた数碗の煎茶を飲んでいる。これで胸腸(むね)を通利させてから食に就いているのである。これは反法である。然ども、翁嫗(としより)が長寿(ながいき)して害がないとなると、朝夕の親馴(なれしたしみ)によって、腎をも胃をも損傷しなくなり、茶の苦寒も害をなさなくなるというべきであろうか。
◎人見必大/島田勇雄 訳注『本朝食鑑2』(東洋文庫312、1977年)

「空心に~引き入れるようなものである」は明の時代に書かれた「本草綱目」茗の蘇東坡の茶説から引用されたものだ。体に悪いとされていた塩茶だが、毎日飲用している年寄りが健康で長生きしているから、そのような心配はいらないと理解すべきだろうと言っている。それほどまでに塩入りの煎じ茶が飲まれていたということだ。

このように一般に晩茶の渋みを緩和するために塩が用いられていたのだが、逆に強すぎる塩味を緩和するために晩茶を用いた地域があった。瀬戸内海の志々島である。ここでの晩茶は後発酵茶の碁石茶だ。

水道が普及する以前の志々島では井戸水を飲用にしていたが、塩水化のため塩辛さが問題であった。茶粥用に酸味の強い碁石茶を用いたのは、酸味と塩味の相互作用を利用してのことである。酸味が塩味を緩和してちょうど良い味わいになるそうだ。

碁石茶の強い酸味は2段階発酵によって生み出される。碁石茶は夏摘みで、葉にでんぷんは多い。しかしでんぷんそのままでは乳酸発酵できない。より強い酸味を作るために、手間のかかるカビ付けをし(一次発酵)、でんぷんを糖化する工程が必要となったのだろう。

四国の乳酸発酵茶が碁石茶から伝搬したとのだと考えれば、その他の乳酸発酵茶は塩味を緩和する必要が無く、(一次発酵がなくなり)乳酸発酵のみの程よい酸味でおちつき、また、高仙寺から北陸へ渡った後発酵茶は酸味自体の必要性がなくなり、一次発酵のみが引き継がれていった可能性も考えられる。

このように、晩茶が日常茶であった時代には茶と塩は切っても切れない関係であった。今後晩茶の良さが見直され、自家用茶としての晩茶が復活する時、塩は重要な役割を果たすことになるかもしれない。

#晩茶  #晩茶研究会 #茶と塩 #番茶

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